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2009年5月の記事

2009年5月31日 (日曜日)

やっと敦賀明子の第3弾を聴く

5月も終わりにしては、この1週間、暑かったり肌寒かったり、寒暖の差がちょっと激しい、我が千葉県北西部地方。高校時代から、急激な寒暖の差が苦手で、体調が何となく優れない。

こんな時は、元気のでるファンキーなジャズが良い。そして、ウォーキング。頭に刺激を与え、体に刺激を与え、体温調整機能などをリセットさせることが大切。明日から6月。いよいよ夏到来。そして梅雨のシーズン。体調管理には十分気をつけていかないとね。

で、元気の出るファンキーなジャズということで、お世話になったアルバムが、敦賀明子の『セントルイス・ブルース』(写真左)。敦賀明子リーダーアルバム第3弾である。2007年10月発売だったので、発売以来、一年半して購入、鑑賞に至ったことになる。なんせ、日本盤って高い。2940円は出せない。今回の購入はiTunesからのダウンロード。

敦賀明子は、僕の注目する若手オルガニストである。このブログでも、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」、「ジャズの小径」のコーナーでも、2008年7月に特集にてご紹介(左をクリック)している。

パーソネルは、Akiko Tsuruga(org), Eric Johnson(g), Bernard Purdie(ds), Houston Person(ts) 。日本のレーベルから、日本での発売前提のアルバムなので、ちょっと固さと、こぢんまりと纏まり過ぎが気になる内容であるが、水準以上のグルーブ感はキープしている。

Tsuruga_st_louis_blues_5

特に冒頭の「Funky Mama」は、なんとなく固く、なんとなくこぢんまりとした感じが、このアルバムの行く末に不安を感じる。が、2曲目「What Now My Love」で、エンジンが掛かり始める感じが掴み取れる。1曲目と比べて明らかにノリが違う。グルーブ感も出てきている。このアルバム、曲が進むにつれて、ノリとグルーブ感、ファンキー度が高くなっていくのが判る。

5曲目「St. Louis Blues」は絶品。ゴスペルチックな緩やかな前奏から、グループ感溢れる、ファンキー度抜群、ノリ抜群の演奏に展開していく。このアルバムのベストな演奏だろう。さらに曲が進むにつれ、グループ感は上がっていく。

9曲目の「The Battle Hymn of the Republic」(日本では「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた」のフレーズで有名ですね)などはもう「どファンキー」ノリノリである。ここまで聴き進めると、冒頭1曲目の不安感は払拭され、ルー・ドナルドソンが「彼女のプレイは、現在活躍するどのオルガン・プレイヤーよりもスイングする」という談話を残しているが、至極納得。

曲が進むにつれ、ノリとグルーブ感、ファンキー度が高くなっていくんだが、聴き終えて、やっぱりちょっと「こぢんまり纏まっている」感じがどうしても気になる。日本のレーベルでの吹き込み、日本での発売が前提だったので、いろいろプロデューサーから意見されたり、いろいろ考えることもあったんだろうが、もっと敦賀には心ゆくまで暴れて欲しかったなあ。でも、それは次回のお楽しみとしておこうと思う。

スイング・ジャーナル社の2007年度ニュースター賞国内部門を受賞したのも頷ける、ジャズ・オルガンを気持ち良く楽しむことの出来る佳作だと思います。うん、次作が楽しみだ(もう出てるけど・・・入手に努力しないとなあ)。
 
 
 
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2009年5月30日 (土曜日)

ジャズ・ピアノの最高峰

ジャズでも、自分で弾ける楽器がどうしても、プライオリティが高くなる。ピアノとギターとサックス。ギターはフォーク・ギターだから、ジャズのレベルにほど遠い。逆にコンプレックスさえ覚える。そうすると、サックスとピアノが残るが、ピアノは結構、子供の頃に極めた想いがあるので、ピアノが「トップ・プライオリティ」。

ジャズ・ピアノで、ジャズを聴き始めて、まず感じ入ったピアニストが「オスカー・ピーターソン」。とにかく「上手い」。そして、沸き立つような歌心。圧倒的なドライブ感。凄いピアニストがいると思った。クラシックしか知らない当時としては、クラシックが最高だと思っていた。

が、である。オスカー・ピーターソンを初めて聴いていた時は、とにかく「ビックリした」。初めて聴いたピーターソンのアルバムの一枚が『ザ・トリオ(オスカー・ピーターソン・トリオの真髄)』(写真左)。

超絶技巧のめくるめくテクニックと圧倒的なドライブ感、そして、沸き立つようなの歌心。そして、バックのレイ・ブラインのベースと、エド・シグペンのドラムの素晴らしきサポート。「これがジャズか〜」と心から感動した。
 

Peterson_the_trio_2

 
オスカー・ピーターソンは、何故か日本のジャズ評論家の方達からは「上手すぎて面白くない」「スイングの権化」などと揶揄され、ピーターソンのピアノは判りやすいが故に「初心者向け」だとか「素人向け」とか、ピーターソンのピアノが好きだというと、初心者を抜けきれない「ジャズが判らない奴」的ななレッテルを貼られかねない、そんな雰囲気だった。

でも、初めてピーターソンのピアノを聴いた時から、僕は「これは凄いぞ」と感じ入って、それ以来、今までズーッとピーターソンのファンである。ということは、僕は、初心者を抜けきれない「ジャズが判らない奴」である(笑)。

でも、ピーターソンのピアノのピアノに、心底、心から感動することが出来て良かったと思っている。音楽って、良いものは良い、悪いものは悪い、それだけだ。音楽というものは、自分の感じたままを追いかければ良い。自分が良いと思ったものは「良い」。

僕は、ピーターソンの『ザ・トリオ』を聴く度に、振り返って思うのだ。ジャズに関する知識は必要で、ジャズに関する基本的な情報は、ジャズ鑑賞では不可欠だ。でも、評論家の言うことは、参考にすべきではあるが、従う必要は無い。自分が良いと思ったジャズを聴けば良い。

ピーターソンのピアノは、僕にとって、ジャズを聴く上で自信を持たせてくれた。自分の感じる通りに聴き進めれば良い。良いものは良い、悪いものは悪い。そんな簡単なことについて、ピーターソンのピアノは僕に確信を持たせてくれた。
 
 
 
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2009年5月29日 (金曜日)

やっとリマスター再発じゃ〜・1

LPからCDへ。1980年代前半、いきなりCDが出現。LPが徐々にCDにリプレイスされていく。スペックからして、CDはLPと比べて、音が悪いのはなんとなく判っていた。でも、世の中の流れは変わらない。1990年代、LPは駆逐され、CDのみのリリースになる。

問題は、LPで既にリリースされたアルバムをCD化する時。リマスタリングという作業が必要になるんだが、これが「鬼門」。簡単に言うと、アナログ音源をデジタル音源に置き換える作業なんだが、これが簡単なようで、実に難しい、困難を伴う作業なのだ。

簡単に言うと、滑らかなアナログ波長を、デコボコのあるデジタル波長に変える。リマスタリング機材の性能とリマスタリングの塩梅が、デジタル化の良し悪しを決める。単に「変換すれば良い」ってものではない。でも、CDが普及し始めた頃、このことに気づいていたレコード会社と気づいていないレコード会社があったのは残念だった。

CD化されて、その音の悪さに辟易するアルバムが多々あった。これではLPの方が音が良い、というか、やっぱりLPは音が良い、とその意を新たにするアルバムが多々あった。その音の悪さを感じるアルバムが、CBSソニー、Epicソニーという、ソニー系のレコード会社に多くあったことは、「技術のソニー」の信奉者であった僕にとってはショックだった。

その「音の悪さ」にビックリしたアルバムの一枚が、ボブ・ディラン&ザ・バンド『偉大なる復活』(写真左)。2006年10月12日のブログ(左をクリック)でご紹介しているが、このアルバムが、CD化されたのは良いが「音が悪い」。
 

Bob_before_the_flood_6

 
紗がかかったように解像度の悪い音。低音はモコモコとしていて分離度が悪く、ディランのボーカルは抜けが悪い。ドラムの音も分離が悪くて、モッコリとした塊の様になって、全然リズミカルでない。ギターの音はとげとげしく、聴いていて痛い。良くこんなCDをリリースしたもんだ。自分たちで聴き直して見なかったのだろうか。音楽に対して、アルバムを作った音楽家達に、実に失礼な仕打ちである。

それでも、CDとして聴けるので、我慢して聴いていたんだが、もう一度、リマスタリングし直して、再発してくれないかなあ、と切に願っていた。その思いが、やっと今月叶えられた。しかも紙ジャケでの再発である。もう狂喜乱舞。嬉しいったら嬉しいな。

でも、紙ジャケの作りにはガッカリ。これはないやろう。紙ジャケの形をしていたら良い、ってもんじゃないやろう。かなり失望。でも、リマスタリングし直された音は「まずまずの及第点」。やっと最低限、CDとして鑑賞に耐える音になった。これについては、手放しでないまでも「喜ばしいこと」。

楽器毎の音の分離が良くなった。ロビー・ロバートソンのコキコキ・ギターも躍動感溢れる耳に心地良い雰囲気になった。レボン・ヘルムのドラム、特にバスドラの音がタイトになって、聴いていてとても楽しい。そして、リック・ダンゴのベースの低音が締まって、ベース・ラインが聴きとれるようになった。ガース・ハドソンの「うねうねシンセ」も、分離と粒立ちが良くなって、心地良く響く。

はぁ〜、やっと、最低限、鑑賞に耐えるCDに生まれ変わった。このアルバムは、僕の大のお気に入りだけに、本当によかった。やっと、リマスター再発じゃ〜。待っていて良かった。一時は、LPを買い直そうかと思ったくらい。もとのマスター音源に問題があるのか、LP時代の音にはまだ敵わないところがあるが、それでも、今回のリマスター再発は「聴ける」。ふふっ、暫くはヘビー・ローテーションやな。
 
 
 
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2009年5月28日 (木曜日)

Facesの『Long Player』

右腕の調子が悪い、というか最悪である。もともと仕事で酷使してきた右腕。ボロボロである。鈍痛がして、変に動かすと激痛が走る。う〜ん、いかん。とにかく、キーボードを打つこと、マウスを操作することが一番いけないんだけど、仕事柄、そうもいかんしなあ。

さて、今日は久しぶりに、70年代ロックの話。5月17日のブログで、ファーストアルバムをご紹介した「フェイセズ」。今日は彼らのセカンドアルバム『Long Player』(写真左)。

ファーストアルバムは、とりあえず皆で力を合わせて作ってみました風の、それぞれの音楽性が「ごった煮」の、アルバム演奏のあちらこちらに、ぎこちない部分が残るアルバムでした。が、このセカンドアルバムは、とにかくメンバー皆が落ち着いたのか、なかなかグループサウンドが楽しい、やっとフェイセズの個性がまとまった「音」になっています。

Faces_long_player

R&BとR&Rの楽しさが一杯に詰まったセカンドアルバムである(逆に雰囲気が二分されて統一感は無いけど・・・笑)。ハッピールーズなロックンロールが良い雰囲気である。演奏全体のレベルは決して最高とは言えないけれど、雰囲気が実に良い。何て言うのかな〜。皆が集まって、それぞれの思いを尊重しながら演奏する、そう、グループサウンドの楽しさっていうのかな。バンド演奏の楽しさっていうのかな。それがほのぼのと伝わってくる。

何度も言うけど、演奏のレベルは最高とは言えませんよ。でも、ハッピールーズな感じが良いんですね。演奏しているメンバーの楽しさが伝わってくる、そこが良いんです、このアルバムは。なんとなく、なんとなく「すっきり」しない、モヤッとした音が僕は好きです。

70年代ロック、それも黄金時代の70年代前半の英国ロックの雰囲気が、結構楽しめます。いい音です。ちょっと曇った、ウェット感のある、それでいて黄昏時の輝くような煌めきのある音。今でも、結構、僕は好きです。
 
 
 
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2009年5月27日 (水曜日)

正統派「洒落た70年代フラナガン」

ジャズのアルバム・コレクターをやっていると、時々「あれ、これって良いんじゃない」と思うアルバムに出くわすことがある。そんなアルバムって、必ず、今までほとんど見たことも聴いたこともないアルバムである。しかも、かなり有名なジャズ・ミュージシャンがリーダーを張っていたりする。

今回出くわしたのが、Tommy Flanagan(トミー・フラナガン)の『Tommy Flanagan Plays the Music of Harold Arlen』(写真左)。Tommy Flanaganが、ベースの名手George Mraz、ドラムのConnie Kayと組んだ「Harold Arlen集」。

全編に渡って、フラナガンのピアノが一番活きるフォーマットであるピアノ・トリオ中心の構成が、とにかく「良い」。ラストの1曲のみヘレン・メリルがボーカルでゲストで参加。これがまた、伴奏のフラナガンの真髄に触れることが出来て「良い」。選曲はタイトル通り、Harold Arlenの表スタンダード曲、隠れスタンダード曲がズラリと9曲。選曲からして「洒落ている」。

1950〜60年代、ピアノの名手の一人でありながら、なぜがリーダー作に恵まれず、脇役の名手、脇役名盤請負人などと変なレッテルを貼られていた。しかし、1970年代後半から、enjaレーベル中心にリーダー作をコンスタントにリリースすることになる。この『Tommy Flanagan Plays the Music of Harold Arlen』も1978年の作品。

ピアノ・トリオの美味しいところが「てんこ盛り」。燻銀とはまさに、このアルバムのフラナガンのピアノのことを言うんだろう。ドライブ感溢れる割に出しゃばらず、じっくりと聴かせるピアノはどれも絶品の極みである。
 

Tfranagan_plays_harold_arlen_2

 
そのフラナガンの洒落て小粋でドライブ感溢れるバップ・ピアノはもとより、ムラーツのベースは重戦車のようにブンブン鳴り響き、ドラムのケイは丁々発止と職人芸的ドラミングを次々に叩き出す。収録されたどの曲もどの曲も、とにかくジャズ・ピアノ・トリオの美味しいところが「てんこ盛り」。これぞ、ジャズ・ピアノ・トリオのひとつ、と言って良い洒脱な演奏。

こんなアルバムがあるなんて知らなかった。このレコードの原盤は今はなき「トリオ・レコード」であるらしい。確かに「トリオ・レコード」って良いアルバム、結構、出していたっけ。今になって、こんな形で再会できるなんて。しかし、他の「トリオ・レコード」が出していたアルバムってどうなったんだろう。まとめて再発をして欲しいなあ。

世間ではフラナガンのベストと言うと『OVERSEAS』を挙げることがほとんどだが、僕はそうは思わない。トミフラのベストは、『ECLYPSO』やこのアルバムのようにベースにGEORGE MRAZを迎えたアルバムにあると思っている。ここでもMRAZとの相性は抜群である。ドラムのケイとの相性も、少なくとも『OVERSEAS』のエルビン・ジョーンズよりは良い。ケイのドラミングの方が、上手くフラナガンのピアノを浮き出させているのが良く判る。素晴らしい職人技。

冒頭の「BETWEEN THE DEVIL AND THE DEEP BLUE SEA」で、もう耳はこのアルバムの虜。後は「推して知るべし」。良いアルバムです。最後の1曲に、「ニューヨークの溜息」ヘレン・メリルがボーカルとして参加しているのも嬉しいですね。「伴奏のフラナガン」の真髄がじっくりと聴けます。
 
 
 
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2009年5月26日 (火曜日)

ナベサダさんの武道館ライブ

唐突ではあるが、ナベサダがお気に入りである。実は「ナベサダ」なんておいそれ呼べない。ジャズを聴き始めた頃から「ナベサダさん」である。「ナベサダさん」=「渡辺貞夫」。日本が世界に誇るジャズ・ジャイアンツ。不世出のアルト・サックス奏者である。

そのナベサダさんのアルバムは大多数持っているんだが、LPで持っていて、どうしてもCDに買い換えるのに、プライオリティの下がるアルバムがあった。1980年、日本人ジャズメンで初の武道館リサイタルを実現した記録『ハウズ・エヴリシング』(写真左)。当時はLP2枚組。確か、レコードで逆輸入されて発売された記憶があります。LPの包装が外盤仕様だったのを覚えています。

この武道館ライブは、テレビでも放映されたし、確かFMではライブ生放送か、ライブ録音を無編集で流していたような記憶が・・・。そうそうたるメンバーを従えての武道館ライブでした。そのパーソネルは、DAVE GRUSIN (p), RICHARD TEE (p), ERIC GALE (g), JEFF MIRONOV (g), ANTHONY JACKSON (b), STEVE GADD (ds), RALPH MACDONALD (per)。今から思えば、凄い面子ですねえ〜。

以前のCDでは、理由は判りませんが、2曲目の「ムズーリ」が削除されており、これはもう買えない、LPのままの方が良い、と判断して、CDの買い換えは全く考えもしませんでしたが、何かの拍子にamazonで、71分間ギリギリまでリミックスして編集された「完全盤」が出ていることを確認し、全く遅まきながらゲットしました。
 

Hows_everyyhing_2

 
しかし、う〜ん、どうもエリック・ゲイルのソロがカットされているような気が・・・。ネットで調べてみると、やはりゲイルのソロがカットされているみたいですね。う〜ん、完全盤のようで完全盤ではないのか。それならば、CD2枚組で良いので、編集前のマスターテープから、再編完全盤をリリースしてほしいですね〜。それほど、このライブは、歴史的価値があると思います。

どの演奏も熱気が溢れんばかり。日本に来たからと観光気分で手を抜く米国ミュージシャンもいたりしたんですが、このバックの面々は違う。ガンガンに弾きまくっています。ナベサダさんがそうさせるのか、武道館の聴衆がそうさせるのか、とにかく素晴らしい演奏です。

しかし、LP時代から、どうしてもストリングスの存在というか、ストリングスは入っていても良いと思うんですが、そう、ストリングスのアレンジが、どうしても気に入らない。というか好きになれない。このストリングスのアレンジであれば、無かった方が良かったですね。このストリングスは、発売当初から気になって仕方がなかったです。どうもアレンジがイマイチなんですね。

そのストリングスのアレンジを差し引いても、日本ジャズにとって、歴史的なライブです。というか、演奏自体の素晴らしさだけでも、このライブは「買い」ではないでしょうか。確か当時、本場米国でもかなり評価が高かったはず。その雑誌記事を読んで、胸が熱くなったのを覚えています。
 
 
 
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2009年5月24日 (日曜日)

『ジャズの小径』5月号アップです

昨日の我が千葉県北西部地方は、25度超えの夏日。半袖でも歩けば汗ばむ、もう夏が来たって感じの陽気でした。が、今日は打って変わって、日中20度を下回って、グッと肌寒くなりました。今年の5月は寒暖の差が激しいですね。もともと気温の急激な変化が苦手なんですが、今年は特に体がついていきません。

苦手と言えば、ジャズ・ボーカルは得意なほうではありません。学生時代にジャズを聴こうと思ったのは、海外のロックを聴いていて、英語の歌詞が良く判らず、どうせ判らないんなら、歌詞はいらんな、と。歌詞はいらん、ということであればインストか〜、ということで、インストだったら、ジャズやろ〜、というノリでした。

そういう訳で、ジャズを聴き始めた時から、ジャズ・ボーカルは最低プライオリティ。ジャズ・ボーカルは得意な方ではありません。でも、なんやかんや言いながら、必要最低限のボーカルものは聴いてはいるので、ジャズ・ボーカルの良し悪しについては、ちょっとは判っているつもり。それでも、どうしても最近の、特に日本人ボーカリストのアルバムには触手が伸びないですね。

前にもこのブログに書きましたが、日本のマーケットにおいては、ジャズ・ボーカルのアルバムが乱発され過ぎだと思います。毎月、何人かのボーカルの新人、それも女性ばかりが出てきては、特徴の無いファースト・アルバムを乱発する。後が続かない人がほとんど。

Komichi_200905

でも、最近、海の向こうの米国では、この21世紀に入って、今までに無い、全く新しいタイプのジャズ系ボーカリストが出てきて、なかなかに楽しい。中堅・ベテラン陣が充実していて、さすが、本場米国でのジャズ・ボーカル事情はなかなかに充実している。羨ましい。

さ〜てさて、そこで、我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」(左をクリック)、月1回更新の「ジャズの小径」のコーナー、5月号の更新をアップしました。今月の「ジャズの小径」は、その米国ジャズ・ボーカル界での期待の新人ニーナ・ヴィダル(写真左)のファースト・アルバムと、中堅大物ダイアナ・クラール(写真右)の久々の新譜の2枚をご紹介しています。

どちらの新譜も良い出来です。ジャズ・ボーカルは先にも書いたように、最低プライオリティなので、しっかりと研究したことが無くて、専門的な見方はできませんが、とにかく聴いていて心地良い。それでいて、しっかりと底にジャズの要素が入っていて、決して甘さに流されない、ちょっとジャジーな味付けが「スパイス」ようにピリリと効いた、なかなかの内容になっています。

最近の女性ジャズボーカルなんて、単なるイージーリスニングなジャズなんだろう、なんて先入観は禁物。実は、そこはかとなく、硬派なジャズも入っていて、うっかりすると「ガツン」とやられますぜ(笑)。

それでは、バーチャル音楽喫茶『松和』の「ジャズ・フュージョン館」(左をクリック)でお待ちしています m(_ _)m。
 
 
 
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2009年5月23日 (土曜日)

ケニー・ドリューのトリオ名盤

米国活動時代は、そのテクニック、その個性の割に、あまり受けなかったケニー・ドリュー。1970年、人種差別問題に嫌気が差し、ついにデンマークに移住。しかし、この北欧移住が大正解。テクニックは超一流。ドライブ感十分。切れ味あるテンションはあるが、そんなテンションの中に、ほのかに優しさというか、丸さというか、ロマンチックな雰囲気がそこはかとなく感じるところが、ドリューの「個性」。その、そこはなとなく漂う「優しさ、丸さ、ロマンチック」な雰囲気が欧州では「うけた」。

さすがに欧州。クラシック音楽を育んだ大陸である。野趣、猥雑、熱気優先のジャズよりも、アーティスティックで、ロマンチシズム漂うジャズの方が「うけた」。しかも、ジャズという音楽を芸術のジャンルのひとつと位置づけ、評価してくれる。ケニー・ドリューも、米国とは違う、この欧州のジャズに対する評価の違いに「救われた」。

その成果の一枚が、1974年5月に録音された『Dark Beauty』(写真左)。パーソネルは、Albert "Tootie" Heath (ds) , Kenny Drew (p), Niels-Henning Orsted Pedersen (b)。ドリューにとって、ドラムのヒースとベースのペデルセンは最高のパートナー。

冒頭「Run Away」の出だし、ピアノとベースのチェイスを聴くだけで、もう心は「ワクワク」。う〜ん、ジャズやなあ、これがジャズの音やで〜、と心から思う。そして、ドリューのテクニック溢れるテーマ弾き。バックに、ペデルセンのベースとヒースのドラムが、ドドドドドド〜ンと重量級のビートを供給する。

米国時代のドリューは、超絶技巧なテクニックとドライブ感溢れるアドリブが特徴の割には、なんとなく暗い印象を感じるピアノだった。おそらく、ドリューのピアノのタッチの強さ、少し引きずるようなノリの重さが、そう感じさせるのだろう。でも、そのタッチの強さとノリの重さが、重量級の「ペデルセンのベースとヒースのドラム」で緩和される、というか、重量級の「ペデルセンのベースとヒースのドラム」に置き換わる。

Dark_beauty

(LP時代の収録曲の構成に敬意を表して・・・)

この重量級の「ペデルセンのベースとヒースのドラム」の存在が、このトリオの肝で、重量級のリズム・セクションをバックにしてこそ、ドリューのそこはなとなく漂う「優しさ、丸さ、ロマンチック」が前面に押し出されてきて、ドリューの個性が良い形で浮き彫りになる。やはり、北欧に来て正解だった。北欧に来たからこそ、ドリューはペデルセンと出会うことが出来たのだ。

2曲目「Dark Beauty」、続く3曲目「Summer Nights」の落ち着いたスローテンポのバラードの美しさはどうだろう。素晴らしいの一言。先に述べた、ドリューの「個性」が最大限に活きている。そして、4曲目の「All Blues」。前の2曲とは打って変わって、ハイテンポのブルースだが、これが絶品。祖リューのタッチの強さとノリの重さが、重量級の「ペデルセンのベースとヒースのドラム」で緩和されて、ドリューのタッチの「明るい」だけが浮き出てきて、聴いていて、実にポジティブな印象を受ける。

LP時代にB面を占めた「It Could Happen To You」「Love Letters」「Silk Bossa」「Blues Inn」は、いずれも名演。ドリュー、ペデルセン、ヒースのトリオの良い面だけが前面に出ていて、実に素晴らしい。LP時代、僕はこのB面を通して聴くのが、実は密かな楽しみだった。特に、ペデルセンのベースが凄まじい。ブンブン音を立てていて、それはそれは、ジャズ・ベースの醍醐味を聴かせてくれている。

ペデルセンのボウイングについては、なかなかのものだ。これくらいの演奏レベルだと、十分、鑑賞に耐える。さすが、クラシックも経験しているペデルセン。ベースのピッチも合っているし、ボウイング時の指のポジショニングも良い。米国で活躍したベーシストは、おしなべてボウイングに何らかの課題を抱えていたが、さすがに、欧州出身のベーシストとのボウイングは頭一つ抜きんでている。ベースなどの基本楽器は、やはりなんらかの形で、クラシックの素養、体験だった教育経験が必要なんだと思う。単なる独学ではきつい。

最後に、CDの収録曲についてクレームを。CDの5曲目「Felicidade」10曲目「In Your Own Sweet Way」11曲目「Stranger in Paradise」は、LP時代未収録。 さすがに、LP時代未収録だけあって、その内容はあまり誉められたものではない。特に「Stranger in Paradise」は酷い。収録する意味は無かったように思う。しかも、最後はフェードアウト。ラストのラストでこれか。一気に興ざめしてしまう。加えて、5曲目に「Felicidade」を入れられたおかげで、LP時代のオリジナルの曲順での雰囲気を頭から通して楽しめなくなった。まったく「いらんこと」をしてくれたもんだ。
 
 
 
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2009年5月22日 (金曜日)

懐かしのバンド、良いライブ

昨日から札幌へ出張だった。札幌って、今の時期は良い季節のはずだった。が、昨日は、札幌に降り立った途端「暑い」。そして、今日は午前中から雨で、なんだか湿度が高い。う〜ん、ちょっと期待はずれだったなあ。

で、出張の時に聴く音楽は、と言えば、意外と純ジャズは避けている。なぜがと言えば、駅とか空港とか、思いのほか「騒音が激しい」。つまりは「うるさい」。電車の走る音、駅や空港のアナウンス、旅に出る興奮でトーンの上がった人の話し声。特に、駅はうるさい。空港も意外とうるさい。

あまりに「うるさい」と、ちょっと微妙なニュアンスが大切な純ジャズはどうしても避けたくなる。日頃の通勤は、どこがうるさくて、どこが静かなのか、経験で判っているのでいいんだけど、出張ともなると、リスクは大きい。

と、出張なので、当然、特別な仕事の使命を帯びて、当地まで旅立つわけで、気持ちの高揚が大切である。まあ、簡単に言うと「気合いをいれたい」のだ。で、出張の時は、そんな「気合いが入る」ロックかフュージョンのアルバムを選ぶことが多い。

昨日、今日は、The Doobie Brothers(ドゥービー・ブラザース)の『Live at Wolf Trap』(写真左)。2004年にリリースされた、久々のライブ・アルバム。
 

Doobie_live_at_wtrap

 
ドゥービーは、1983年に一旦解散している。そして、1987年に再結成。しかしながら、2005年にドラマーのキース・ヌードセンが死去。そして、かつてのメンバー中4人(ボビー・ラカインド、デイヴ・ショグレン、コーネリアス・バンプス、キース・ヌードセン)が相次いで鬼籍に入ってしまう。ということは、この『Live at Wolf Trap』は、かつてのメンバーが揃った最後のライブ・アルバムとも言える。

同窓会の様なライブアルバムなので、ちょっとノスタルジアが先にたってしまいますが、以前ツアーで参加していたSaxのマーク・ルッソーを中心にしたホーンセクションが参加していて、ドゥービーの全盛時代を彷彿とさせる音です。

そう、このライブはトム・ジョンストン時代のドゥービーに近い雰囲気・アレンジで、ズバリ良いです。ただ、演奏自体は、なぜだか当時より上手くなっているので(テクノロジーの進化の恩恵か?)、ラフというか荒削りな感じがちょっと後退していて、垢抜けてスマートになってしまったなあ、という不思議な感慨が胸をよぎります。

収録された曲数も17曲と充実のボリューム。収録された曲は名曲揃い。もう相当なベテランとなったメンバーは、聴衆を楽しませるコツを十分知っている。細かいことは気にせずに、ドゥービーの目眩く世界を単純に楽しむには格好のライブである。ドゥービーならではの熱気と迫力あるパフォーマンス。いやはや「大麻兄弟」の面目躍如である。

ラストの「Listen to the Music」の聴衆の大合唱聴くと、なんだかジーンとくる。今でもこれだけの「大麻兄弟」がいるんやね。やっぱり、良いものは、どれだけ時が経っても「良いものは良い」。
 
 
 
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2009年5月20日 (水曜日)

Smokin' At The Half Note Vol. 2

昨日、ご紹介した『Smokin' At The Half Note』。その続編っぽいアルバム・タイトルで『Smokin' At The Half Note Vol. 2』(写真左)っていうアルバムがある。

これが、ちょっと事情が複雑で、Vol.2とは言いながら、完全な続編ではない。というか、もともと『Smokin' At The Half Note』からして、頭の2曲は、ハーフノートのライブだが、残りの曲はスタジオ録音という、ちょっとした「看板に偽りあり」的なアルバムである。

この『Smokin' At The Half Note Vol. 2』は、幾つかのアルバムに分散されていた、Wynton Kelly (p) Wes Montgomery (g) Paul Chambers (b) Jimmy Cobb (ds)のメンバーでの「ハーフノート」でのライブを集めて再編したもの。決して、『Smokin' At The Half Note』に収録されたハーフノートのライブと同一のライブ演奏の全てを集めた、いわゆる「完全盤」ではない。裏ジャケットと背ラベルを見ると「The Complete "Smokin' At Half Note"」とあるから、よけいに「ややこしい」。

収録された曲順は以下の通り。

1 No Blues  2 If You Could See Me Now  3 Willow Weep For Me  4 Impressions  5 Portrait Of Jennie  6 Surry With The Fringe On Top  7 Oh, You Crazy Moon  8 Four On Six  9 Misty

とにかく、収録された曲のセレクションが複雑怪奇で、冒頭の2曲はVol.1と同じ(1965年6月24日収録)。3曲目「Willow Weep For Me」と5曲目「Portrait Of Jennie」は、6月25日の録音。7曲目の「Oh! You Crazy Moon」は、8月13日の録音。9曲目の「Misty」は、9月17日の録音。で、これらは、クラウス・オガーマンの編曲指揮がかぶさったものから、オリジナル・フォームに直したものを収録している。

4曲目の「Impressions」は、9月17日の録音。6曲目の「Surry With The Fringe On Top」は、6月25日の録音。8曲目の「Four On Six」は、8月13日の録音。これらは、以前に加工されたことのない、オリジナル・フォームのままでの収録。
 

Wes_halfnote_vol2

 
ああ、めんどくさい。まとめると、

・6月24日から、2曲(1 No Blues  2 If You Could See Me Now)
・6月25日から、3曲(3 Willow Weep For Me 5 Portrait Of Jennie 6 Surry With The Fringe On Top)
・8月13日から、2曲(7 Oh, You Crazy Moon 8 Four On Six)
・9月17日から、2曲(4 Impressions 9 Misty)

となる(はず)。まあ、簡単に言うと、『Smokin' At The Half Note』『Willow Weep For Me』『The Small Group Recordings』に分散収録されていた、Wynton Kelly (p) Wes Montgomery (g) Paul Chambers (b) Jimmy Cobb (ds)のメンバーでの「ハーフノート」でのライブをオリジナル・フォームにして、再編再発したもの、だということ。

6曲目の「Surry With The Fringe On Top」などは、ウェスの笑い声まで聞こえる、実にライブ感溢れるものだが、ウィントン・ケリーのソロはカットされたまま。曲によっては、不自然にフェードアウトされていたりと、再編再発盤の割には、どうも未だに「良く判らん」アルバムです。どういう編集方針をしてるんだ。そもそも、これらのライブ録音の大本となったマスターテープはどこにいったんだろう。

でも、ウェス・モンゴメリーのギターについては、Vol.1同様に、超絶技巧、鬼気迫るフレーズとリフの嵐。天才の仕業としての「オクターブ奏法」が炸裂している。ウェスは全て鬼気迫るものがあり、バックを務めるウィントン・ケリー・トリオも大健闘。冒頭の2曲はVol.1と同じですが、このVol.2も是非手に入れておきたいですね。

特に、4曲目の「Impressions」、コルトレーンの超絶技巧な演奏が有名な曲ですが、この速いテンポの曲を、カッ飛びながら、ドライブしまくるウエスのギターは、もう「圧巻、まいりました」の一言。この1曲だけでも、このアルバムは「買い」かもしれない。
 
 
 
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2009年5月19日 (火曜日)

ウェスを愛でたくなった・・・

最近、アルバムを購入する時、ジャズ・ギターのアルバムを購入する確率が高くなっている。それもそのはず、ジャズのアルバムのコレクションを始める時、何を唄っているのか、リアルタイムに判らないジャズ・ボーカルを排除し、ギターは弾くことはできるんだが、ジャズ・ギターは次元が違う。劣等感に苛まれて、ジャズ・ギターは最低プライオリティになった。

自分で弾くことの出来るピアノ。吹くことの出来るサックス。これが最高プライオリティ。一応、それらの楽器は演奏できるので、ジャズ・ミュージシャンの演奏がどれだけ優れているのか、実感を持って追体験できる。よって、ジャズ・ピアノとジャズ・サックスは得意なジャンルである。

さて、その最低プライオリティのジャズ・ギターである。昨晩、突然に、ウェス・モンゴメリーが聴きたくなった。それも、あの鬼気迫る「オクターブ奏法」が聴きたい。ということで、今日選んだのは『Smokin' at the Half Note』(写真左)。パーソネルは、Wynton Kelly (p), Wes Montgomery (g), Paul Chambers (b), Jimmy Cobb (ds)。1965年6月の録音。

タイトル通りの、ハーフノートのライブ録音は、LP時代のA面、冒頭の2曲のみがライブ録音。残りの3曲(LP時代で言うとB面)はスタジオ録音になっています。う〜ん、紛らわしいタイトルやなあ。でも、ライブ録音もスタジオ録音も、ウェス・モンゴメリーのギターについては、超絶技巧、鬼気迫るフレーズとリフの嵐。特に、彼の専売特許「オクターブ奏法」については、ライブもスタジオも無い。天才の仕業としての「オクターブ奏法」が炸裂している。

1曲目の「オール・ブルース」のウェスの鬼気迫るリフだけが脚光を浴びがちなアルバムであるが、とんでもない。他の4曲も、ウェスは全て鬼気迫るものがあり、バックを務めるウィントン・ケリー・トリオも大健闘している。
 

Smokin_at_the_harf_note_5

 
逆に1曲目の「オール・ブルース」は、ウェスのベスト・パフォーマンスのひとつだろう。執拗に繰り返されるリフ。印象的な「オクターブ奏法」の炸裂。堅実なチェンバースのベース。そして、跳ねるような、それでいてブルージーな、ジミー・コブのドラミング。どれを取っても、文句のつけようが無い。

ウィントン・ケリーのピアノは控えめながら、ファンキーで叙情的なタッチで、フロントのウェスを引き立てる。ケリーとしては、決して絶好調のピアノではない。でも、ファンキーで健康優良児的なジャジーなアプローチは、ウィントン・ケリーならでは。

とにかく、このアルバムのメインはウェス。ジャケット上のメンバー表記の体裁順からすると、ウィントン・ケリー・トリオ、ウエス・モンゴメリーの順だか、そんなのは関係無いくらいウェスは「かっ飛んでいる」。録音年は1965年。時代は、コルトレーンを象徴的リーダーとしたフリー・ジャズとマイルスに代表される様な「伝統の中での最大限の自由=モード」が拮抗した時代。そんな時代に、ハード・バップの最高峰をいく演奏。爽快です。

ライブのウェスは、スタジオ録音の1.5〜2倍の疾走感と超絶技巧感がある。ウェスの真骨頂は、ライブ録音を経験するのが一番だ。加えて、このライブ・アルバムにおいては、演奏表現が実に豊かである。ライブA面2曲目の「If You Could See Me Now」などは聴いていて常に思う。とにかく美しい。ウェスもケリーも実に美しいソロをとる。本当に美しい。

『Smokin' at the Half Note』では、ライブ録音とスタジオ録音で構成されているが、どちらの収録についても、ウェスのアドリブ、フレーズ、リフ、インプロビゼーションについて、ウェスのそれは「唯一無二」である。ライブ録音、スタジオ録音とも、甲乙付け難い、実に難度の高い「インプロビゼーション」である。

とりわけ、この時期のウェスは、鬼気迫る、テンション溢れる、超絶技巧な演奏のピークであったということだろう。ウィントン・ケリーのファンキーなピアノに触発されたということではないと思う。逆に、ウェスがケリーを触発したといってもいいほど、ウィントン・ケリーの方が、この時期においては、いつになく元気である。

ウェスのオクターブ奏法を愛でるのに、この『Smokin' at the Half Note』は避けて通れない。
 
 
 
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2009年5月18日 (月曜日)

トミー・タレンタインって・・・

ジャズを長年聴いていると、歴史を変えた訳では無い、ジャズの有名バーチュオーゾに名前を連ねている訳でも無い、一発屋として、いきなり一枚だけ「歴史に残る名盤」を残した訳でも無い。

そんな中で、なんだか、その時代のトレンドにも乗らず、独特の道を選んで、それを具現化した「個性的な」ミュージシャン達がいる。その一人が、トミー・タレンタイン(Tommy Turrentine )。ファンキー&叙情派テナー・サックス奏者、スタンリー・タレンタインの兄。

そのトミー・タレンタインの唯一のリーダー作『TOMMY TURRENTINE』(写真左)。1960年の録音。ちなみに、パーソネルは、TOMMY TURRENTINE(tp) , JULIAN PRIESTER(tb) , STANLEY TURRENTINE(ts) , HORACE PARLAN(p) , BOB BOSWELL(b) , MAX ROACH(ds)。弟のスタンリー・タレンタインが参加しているところが良い。

この唯一のリーダー作。不思議な味がある。録音されたのは、1960年。ジャズのトレンドは、ファンキー・ジャズ。でも、このアルバムは違う。ファンキーな雰囲気は、少しだけ「漂う」程度。雰囲気はハード・バップ。でも、純粋なハード・バップとは違う。モードの様でモードで無い、でも、コードでは無い、なんだか中途半端な雰囲気が漂うのだ。
 

Tommy_turrentine_9

 
この「中途半端」さが癖になる逸品。ジャズ初心者の方々には、このアルバムを是非聴いて下さい、と推薦するつもりは全く無い。逆に、ジャズ初心者の方々は、このアルバムは聴かない方が良い。でも、ジャズ者、ジャズ・ベテランの方々には、このアルバムは大推薦である。

パーソネルを見渡すと、弟のスタンリー・タレンタインとドラムのマックス・ローチ以外、後はまだまだ無名なミュージシャンばかり。ピアノのホレス・パーランのみが、後のジャズ・スターの卵と言っていいかもしれない。そんなメンバーが、この1960年という時代、ファンキー・ジャズではない、摩訶不思議な先進的なハード・バップな演奏を残すなんて。ジャズって、本当に不思議な音楽ジャンルである。

しかも、リーダーのトミー・タレンタインは、以降、リーダー・アルバムを残すことは無かった。確かに、そうだと思う。決して、テクニック的にも上手くは無い。演奏の構成的にも、秀でた所は無い。でも、なんだか、不思議な魅力漂うトミー・タレンタインの唯一のリーダー作『TOMMY TURRENTINE』。

こんなアルバムが、名盤に隠れて転がっている所が、ジャズの面白いところ。こんなアルバムを見いだして、人知れず愛でるところに、ジャズ者としての楽しみがある、ってもんだ。

この『TOMMY TURRENTINE』、徹頭徹尾ハード・バップな演奏ながら、不思議とモード的な雰囲気がそこはかとなく漂うところが「癖になる」。でも、モード的な演奏になりきれていない。この中途半端さが魅力の「隠れ佳作」。普通、音楽において、中途半端さは「悪」である。しかし、この中途半端さが魅力になってしまうところに、ジャズの醍醐味が隠れている。
 
 
 
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2009年5月17日 (日曜日)

フェイセズのデビュー・アルバム

我がバーチャル音楽喫茶『松和』の「懐かしの70年代館」にアップすべく、1970年代のロッド・スチュワードのアルバムを順番に聴きまくっている。ロッド・スチュワードといえば、ソロになる前に、幾つかのグループを経由している。

有名どころとしては、第1期ジェフ・ベック・グループ。そして、フェイセズ。フェイセズは、スティーヴ・マリオットがハンブル・パイを結成するためスモール・フェイセズから脱退し、残されたロニー・レーン、イアン・マクレガン、ケニー・ジョーンズの三人にジェフ・ベック・グループからロッド・スチュアート、ロン・ウッドが加わり結成された。

今回は、そのフェイセズを採り上げる。そのフェイセズのファーストアルバムが『First Step』(写真左)。但し本アルバムの初回プレスは、まだSmall Faces名義で、それ以降nジャケットには、Facesの名が掲げられた。だから、正式には、アルバムの初版には「Small Faces」となっている。

さて、このフェイセズのファーストアルバム、後の「酔いどれロックンロール・バンド」と呼ばれた、独特の「ダルで、ラフで、底がタイト」なノリは「まだまだ」だが、その片鱗がところどころ覗くところが、なかなかに味わいがある。しかし、曲によっては、サイケデリックな曲や、アコースティック・ロックの様な、ちょっとフォーキーな味わいの曲もあり、アルバム全体の印象はちょっと散漫。

Faces_first_step_4

そんな中、ロッド・スチュワードのボーカルと、ロン・ウッドのリード・ギターは秀逸で、この2人が軸になっていることには疑いは無い。逆に、もともと、スモール・フェイセズの残された3人の存在はちょっと希薄で、恐らく、このバンドは長続きしないことを暗示している。

それでも、そこはかとなく漂う「ダルで、ラフで、底がタイト」なノリの部分は魅力的。そのノリに乗ったロッドのボーカルは、実に活き活きとしている。しかも、ロッドのボーカルは、相当に「上手い」。そして、ロン・ウッドの個性的なリフ。ちょっと濁った泥臭さの残るロックなリフは、ロン独特のもの。ロッド好みのR&B的なノリも加えて、フェイセズは独特のロックンロール的雰囲気を形作って行く。

アルバム演奏のあちらこちらに、ぎこちない部分が残るファースト・アルバムですが、後の展開を期待させるに十分な内容になっています。ロック界随一と言われる酒量の多いバンドとしても知られ、「酔いどれロックンロールバンド」の片鱗がそこかしこに見られるのが、このアルバムの最大の魅力でしょう。

そして、一聴して感じる「ブリティッシュな」音の雰囲気、音の響き。これが「堪らない」。もしかしたら、このアルバムの最大の魅力は、「ブリティッシュな」音の雰囲気、音の響きなのかもしれない。
 
 
 
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2009年5月16日 (土曜日)

とても暖かい「バド・パウエル」

バド・パウエルは、ジャズ・ピアノ・トリオの祖。全盛期のアルバムは、どれも「触れば切れる」感じの、ストイックで、冷徹なまでの「瞬間芸的な」緊張感、そして、誰も寄せ付けないほどの超絶技巧なテクニック。それでいて、そこはかとなく漂う歌心。

おそらく、全盛期のバド・パウエルを愛でる方々は、当時のバド・パウエルの演奏に、この「そこはかとなく漂う歌心」に、ほのかに暖かい「人間味」を感じて、おそらく「素晴らしい」と感じておられるのではないかと思う。

それほど、全盛期のバド・パウエルの演奏は、どれも「触れば切れる」感じの、ストイックで、冷徹なまでの「瞬間芸的な」緊張感、そして、誰も寄せ付けないほどの超絶技巧なテクニックで、とても、音楽を楽しむという、娯楽としての音楽からは大きく外れた、優れた芸術家のエゴイズムが感じられる演奏なのだ。冗談めいていうと、この全盛期のバド・パウエルが良いと言い切れる方は、きっと「どM」ではないかと勘ぐってしまう(笑)。

それでも、そのどれも「触れば切れる」感じの、ストイックで、冷徹なまでの「瞬間芸的な」緊張感、そして、誰も寄せ付けないほどの超絶技巧なテクニックの中に、ほのかで暖かい「人間味」を感じることができるからこそ、バド・パウエルは素晴らしい。

絶頂期を過ぎて、通説通りに振り返ると、統合失調症に悩まされ、その治療で電気ショック療法を受け、また警官に頭部に暴行を受けた為に、指が以前の様に上手く動かなくなる。天才音楽家としては、悲惨極まりない状況に追い込まれていく。

The_scene_changes

しかし、この『The Scene Changes (The Amazing Bud Powell, Vol. 5) 』(写真左)を聴けば、確かに、天才音楽家として、悲惨極まりない状況に陥ったにも関わらず、彼のそれまでの実績とは違う、人間味のある音楽家としての「暖かさ」を確実に感じることができる。僕は、この彼の晩年の諸アルバムがあるからこそ、バド・パウエルという、不世出の天才音楽家の存在意義が確固たるものになっている、と思う。

絶頂期だけでは人間味が無い。ジャズは人間が演奏する音楽である。そのジャズの中で、「天才」ということだけで処理できない「人生の暗転」。しかし、その「人生の暗転」の中でも、バド・パウエルは演奏を続け、絶頂期には見られなかった「人間味溢れる」演奏を繰り広げてみせる。

その最右翼の演奏を記録したのが、ブルーノート4009番『The Scene Changes』であると思う。冒頭の「Cleopatra's Dream(邦題;クレオパトラの夢)」だけが突出して持てはやされる傾向にあるが、他の曲にしっかりと耳を傾けてみないと、このアルバムの真価は判らない。というか、絶頂期に無い「暖かさ」を感じるには、絶頂期の演奏を十分理解していないと、この『The Scene Changes』の真価は理解できないと思う。

その一例が、5曲目の「Borderick」のロマンティックな優しいフレーズに現れている。ポジティブなメジャー調の明るい旋律。ところどころ指がもつれる。全盛期の、他を寄せ付けない超絶技巧な世界は、ここには無い。でも、その演奏には、そこはかとなく「ハッピー」な雰囲気が漂う。但し、心から湧き出るハッピーさでは無いのが残念なんだけど・・・。

冒頭の「Cleopatra's Dream」だってそうだ。マイナー調のシビアな演奏風の雰囲気の中に、そこはかとなく漂うロマンティシズム。そのロマンティシズムが、ほのかに匂うからこそ、この「Cleopatra's Dream」は素晴らしい。この「Cleopatra's Dream」を、バド・パウエルの全盛期の演奏で聴いたとしたら、冷徹極まりない、妖しい切れ味漂う、玄人好みの演奏になったんではないか。少なくとも、これだけ、ジャズ初心者の方々にも受け入れられる、ポピュラーな演奏にはならなかったと僕は思う。

この『The Scene Changes』は、確かに、天才音楽家として、悲惨極まりない状況に陥ったにも関わらず、バド・パウエルのそれまでの実績とは違う、人間味のある音楽家としての「暖かさ」を確実に感じることができる、素晴らしいアルバムである。

これもバド・パウエル。絶頂期の超絶技巧、切れ味鋭い、ストイックな演奏もバド・パウエル。
 
 
 
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2009年5月14日 (木曜日)

寛ぎのフュージョンの素晴らしさ

シビアなジャズをシビアに聴く。これって当たり前のことで、ジャズのアルバム全て、ミュージシャン達が、自分の持てる技術の全てを尽くして、演奏している。いい加減にアルバム制作に携わっているミュージシャンなんていない。

そんなアルバム達である。しっかりと対峙して、しっかりと聴く。僕たちはジャズ演奏に関しては素人である。素人がプロの技を批判したり、さげずんだりする資格は無い。どんなジャズ・アルバムにも、絶対に良いところはある。

でも、シビアなジャズをシビアに聴く。これって、流石に、数枚聴くと疲れてくる。疲れてくると、ちょっとリラックスして、ノンビリ聴けるアルバムが欲しくなる。そんなアルバムの一枚。大学時代からの「寛ぎのフュージョン・アルバム」の一枚。

ボブ・ジェームス(Bob James)の『Two』(写真左)である。1974年12月、1975年1月録音。冒頭の「Take Me to the Mardi Gras」からして、もう寛ぎの逸品である。ポール・サイモンのポップな楽曲。これをボブ・ジェームスは、実にポップなフュージョン・ジャズにアレンジしている。僕の私見では、ボール・サイモンのオリジナルより、ボブ・ジェームスのアレンジ版の方がポップで聴きやすく、そして、すこぶる楽しい。
 

Bob_james_two

 
この「Take Me to the Mardi Gras」の存在が大きくて、このアルバムは大学時代早々に購入して以来、相当数、ターンテーブルに載り、カセットデッキにセットされ、カセットテレコから流れ、CDプレイヤーのトレイに載った。ジャズを聴き続けて、ちょっと一服したい時、朝起きて、ちょっとポップな音楽が欲しい時、このボブ・ジェームスの『Two』は最適なアルバムの一枚。

そして、このアルバムのハイライトは、LP時代、B面の1曲目に鎮座ましましていた「Farandole (L'Arlesienne Suite No. 2)」。フランスの作曲家ビゼーの「アルルの女 組曲第2番」をアレンジしたもの。これがまた「良い」。フルートのHubert Laws(ヒューバート・ロウズ)が大活躍。凄いフルート・ソロを聴かせてくれる。これだけでも「聴きもの」である。

この「Farandole」は、純ジャズからすると、きっと「外れている」。でも、このボブ・ジェームスのアレンジのセンスは素晴らしい。広く「音楽」として、十分に優れ、楽しめる逸品だと僕は思う。

そして、全編に渡って思うのが、ボブ・ジェームスのフェンダー・ローズの上手さ。恐らく、フェンダー・ローズを弾かせたら、相当上位にくる上手さだと僕は思う。ツンツンと突くような、チュッチュッとつまむような特徴ある弾き方。フェンダー・ローズの音出しの特性を良く理解した、とても素晴らしいフェンダー・ローズが聴ける。僕は、このセンスあるボブ・ジェームスのフェンダー・ローズが大好きだ。

ボブ・ジェームスの天才的なアレンジと作曲センスが炸裂する『Two』。ジャズとして聴くより、このアルバムは、純粋にフュージョンとして聴くのが正解なアルバムです。前作の『One』よりも、ポップ度が増した『Two』。大学時代からの「寛ぎのフュージョン・アルバム」の一枚である。
 
 
 
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2009年5月13日 (水曜日)

一石二鳥な「お得な」アルバム

昔、若かりし頃、このアルバムが好きじゃなかった。ケニー・ドリューは「トリオ」に限る、と若い頃、思いこんでいたので、このアルバムを認めることが出来なかった。そう、ブルーノートの4059番『Undercurrent』(写真左)である。

パーソネルは、Freddie Hubbard (tp) Hank Mobley (ts) Kenny Drew (p) Sam Jones (b) Louis Hayes (ds) 。リーダーのケニー・ドリュー (p) に、フロント2管+若き優秀なリズム・セクション。若かりし僕にとっては、このハバードとモブレーの2管が「邪魔」だった。もっともっと、ドリューのピアノが聴きたい。まあ、簡単に言うと、ドリューのピアノが気に入っていたんだろう。

でも、今では違う。このハバードとモブレーの2管のユニゾン、ハーモニーに、ハード・バップの「美味しいところ」を感じて、ウキウキしてしまう。サム・ジョーンズのブンブン唸るベース。ヘインズのドライブ感溢れるドラミング。冒頭の「Undercurrent」を聴いて思う。このアルバムって、一石二鳥な、実に「お得な」アルバムではないのかと。

冒頭の「Undercurrent」。出だしの前奏は、ハバードとモブレーの2管のユニゾンが実に小気味良い。ハードバップ全盛期の良き雰囲気がプンプンする。う〜ん、ええなあ。
 

Undercurrent

 
そして、疾走感溢れるテーマの演奏があって、そしてそして、きた〜っ、ドリューのソロ。超絶技巧、良く回った右手、力強い左手のブロック・コード。そこはかと漂う、優雅さと気品。ドリューのピアノは、単に黒くてファンキーなだけでは無い。この「優雅さと気品」が彼の個性。

そしてそして、ラストの「Ballade」。絶品のバラード。ケニー・ドリューのピアノの素晴らしい展開。素晴らしいテクニックに裏打ちされた「力強いタッチ」。そして、そのフレーズに、そこはかと漂う「優雅さと気品」。このラストの「Ballade」は絶品である。さすが、ブルーノートの総帥、アルフレッド・ライオン。この、ドリューの一番美味しいところを、最後の最後に「もってきた」。

昔、ドリューはトリオに限ると思いこんでいた「若かりし頃」。僕は、この『Undercurrent』が理解できなかった。でも、今は違う。ハバードとモブレーの2管は素晴らしい。特に、ハバードのソロは輝かしい。そして、サム・ジョーンズとヘインズのリズム・セクションは、重量感と疾走感があって、とても良い。

そして、ケニー・ドリューは言わずもがな。早いテンポの曲は、超絶技巧で手が良く回る。スローなバラードは優雅で優しい。そして、早いテンポの曲でも、スローなバラードでも、漂う「気品」はドリューならではである。

良いアルバムです。一石二鳥な「お得な」アルバム。ブルーノートの4000番台には、そんな「お徳用な」アルバムがごろごろしている。 
 
 
 
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2009年5月12日 (火曜日)

気になるジャケット・デザイン

ジャズのジャケット・デザインには秀逸なものが多い。なぜだか判らないんだが、デザイン的にも優れたものが多い。不思議なんだけど、アートとして十分に通用するものも多々ある。このジャケット・デザインを愛でるのも、ジャズの楽しみでもある。

コルトレーンのアルバムも、ジャケット・デザインの優れたものが多いが、高校時代からズ〜ッと気になるジャケットがある。アトランティック・レーベルからリリースされた『Ole Coltrane』(写真左)。1961年5月の録音。パーソネルは、Freddie Hubbard (tp) John Coltrane (ss, ts) Eric Dolphy (as, fl) McCoy Tyner (p) Reggie Workman (b-3) Art Davis (b -1,2) Elvin Jones (ds)。

「Ole」という印象的な真っ赤な大文字なロゴタイプ、下に黒字で「Coltrane」。黄色と薄い朱色のツートンカラーがバック。写真は全くあしらわれていない。でも、凄いインパクトのある、印象的なデザイン。

このジャケット・デザインが高校時代から、ズ〜ッと好きで、ロックのアルバムを選びながら、ジャズのコーナーにも立ち寄り、ジョン・コルトレーンという名前だけは知っていたので、そのコルトレーンの箱の中からLPを一枚一枚見ていって、このジャケットに出会った。実に良い感じのジャケット。収録されている音が聴こえてきそうな、迫力あるジャケット。

確かに、このアルバムは、この黄色と薄い朱色のツートンカラーと「Ole」の真っ赤な文字色どおりの、熱気あふれる演奏を収めたもの。伝統的なハード・バップの演奏スタイルを踏襲しつつ、出来る限りフリーに演奏する、そんな次のインパルス時代を予告するような、熱くてフリーな、長尺な演奏が3曲収録されている。
 

John_coltrane_ole

 
ドルフィーは、結構伝統な枠の中での演奏で収まりながらも切れ味鋭いアルトを聴かせてくれる。ハバードは、フリーキーな演奏を装いながらも、しっかりと、底はハード・バップなトランペットでご機嫌。ベースの二人、ワークマンもアート・デイヴィスも、どちらもブンブン唸りをあげる重量級ベース。どちらも決して悪くない。というか「良い」。敢えて、ジミー・ギャリソンを迎えることも無かったのに、と思うくらいの素晴らしいベース・ワーク。

そして、タイナーのピアノは、ここではもう「打楽器化」している。フリーキーで途切れなく流れるような、コルトレーンの、ドルフィーの、ハバードのソロのバックでは、合いの手のように、打楽器化したピアノを、小粋に挟み込みしかない。和音コードをキープした「打楽器化」したピアノが「和音なビート」を供給する。これが「ミソ」。

コルトレーンは、相変わらず、高中音域だけでテナー・サックスを吹きまくる。高中音域だけで、これだけ多彩な音が表現できるなんて、素晴らしいテクニックである。ここでも「実験、チャレンジ、鍛錬」である。この『Ole』も、コルトレーンらしいアルバムではないか。

良いジャケット、良い演奏。真っ赤な「Ole」の文字。熱い演奏。録音日的には、インパルス時代に入ってからの、アトランティック・レーベルとの契約を消化する為の様な、微妙なタイミングでの録音なんだが、インパルスで残した同時期の録音よりも、僕の耳には「コルトレーン・ジャズ」しているように聴こえる。 
 
伝統の枠の中での、最大限フリーキーな演奏。決して、まだ「スピリチュアルな世界」に足を踏み入れていない、伝統の枠の中での「自由」。僕はこの辺りのコルトレーンが好きだ。
 
 
 
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2009年5月11日 (月曜日)

若かりし頃のアルバムは・・・

一流のジャズ・ミュージシャンというのは、とにかく、若い頃から天才、秀才の類の輩ばかりで、凡百なミュージシャンは、知らない間に駆逐されていく。

そして、一流のジャズ・ミュージシャンは、必ずと言っていいほど「個性」というものも持ち合わせている。その「個性」というものは、若い頃から変わらない。「栴檀は双葉より芳し」。一流の、名を留めるジャズ・ミュージシャン達は、初リーダー作を始めとして、若かりし頃のアルバムは、そのジャズ・ミュージシャンの「個性」を強烈に感じることが出来る。

今日久しぶりに聴いた、Kenny Drew (ケニー・ドリュー)の『Kenny Drew Trio』(写真左)を聴いて、そのことを改めて強く思う。1956年9月の録音。パーソネルは、Kenny Drew (p) Paul Chambers (b) Philly Joe Jones (ds)。

冒頭の「Caravan」を聴いて思う。ドリューは、この初リーダー・トリオ作にて、一流ジャズ・ミュージシャンの仲間入りである。彼の個性が煌めいている。明らかに、バド・パウエルの影響は色濃い。でも、バドと違うのは、バドの場合、どんなロマンティックな曲を演奏しても、厳しさというか、ストイックというか、切れ味ある尖ったテンションが溢れているが、ドリューはそうではない。

切れ味あるテンションはあるが、そんなテンションの中に、ほのかに優しさというか、丸さというか、ロマンチックな雰囲気がそこはかとなく感じるところが、ドリューの「個性」。そこ「個性」を「甘い」と評価するか、「ロマンティシズム」という「個性」と評価するかで、ドリューの評価は分かれる。

Kenny_drew_trio

改めて、冒頭の「Caravan」。とにかく、超絶技巧なテクニックで弾きまくる、弾きまくる。バックのチェンバース=フィリー・ジョーを向こうに回して、ガンガンに弾きまくる。んだけど、音の雰囲気に、そこはかとなく、丸さというか「優雅」という雰囲気が見え隠れする。これが、このシビアな「Caravan」という曲を、上手く聴きやすくしている。

その丸さというか「優雅」という雰囲気を強く感じることができるのが、3曲目の「Ruby, My Dear」と、6曲目の「When You Wish Upon a Star」。手癖は明らかにバド・パウエルなんだが、バドの手癖に比べて、かなり丸くて優雅。職人芸的なビ・バップ的ピアノ・トリオが、シビアであるが、ポップス的な優雅な雰囲気芳るピアノ・トリオに変わりつつある。しかし、時代は1956年、ハード・バップ全盛時代に入ったばかり。ちょっと早すぎたか。

1970年代以降、メロディアスかつ優しいタッチで、ヨーロッパ及び日本で人気を博した訳だが、これって、別にドリューは宗旨替えした訳じゃあない。既に、初リーダー作を録音する頃から、その丸くて優雅な所(=メロディアスかつ優しいタッチ)は、明快にあったんだよな。

しかし、1956年の頃は、ハード・バップ全盛期。その丸くて優雅、ロマンティックでやや聴き易いドリューのピアノは、結論として「受けなかった」。そして、彼はヨーロッパに渡る。ヨーロッパに渡った後の大活躍は、ジャズ・ファンの多くが知るところ。

この『Kenny Drew Trio』でのドリューのピアノは、ちょっと早かった。でも、1970年代以降、再評価されて良かったよな〜。ドリューは幸運なミュージシャンであった。
 
 
 
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2009年5月10日 (日曜日)

時にはこんな「異色作」はいかが?

今日は初夏らしい一日になった。日中は半袖で十分。窓から吹き込む風も、カラッと乾いていて心地良い。日差しは、もう夏らしい日差し。こんなに気持ちの良い気候って、湿度の高い日本では、ありそうでなかなか無い。良い一日だった。

CD棚を整理していて、こんなアルバムに気が付いた。Philly Joe Jones『Blues for Dracula』(写真左)。ジャケット写真を見て頂きたい。そう、ドラムを叩くドラキュラ(爆笑)。このドラキュラに扮するのは、当然、リーダーのフィリー・ジョー・ジョーンズ。いやいや、このジャケットだけで、十分「異色作」である。

よくよく調べてみると、当時、フィリー・ジョーがお気に入りの、ドラキュラ映画の主演者である Bela Lugosi(ベラ・ルゴシ)への敬愛をジャケットで表しているとのこと。ふ〜ん、そうなのか。フィリー・ジョーって、ドラキュラが好きだったのか。でも、ジャズとは直接関係無いよな(笑)。

1曲目がその表題曲の「Blues for Dracula」。冒頭、ちょいと冗長な長い語りが入る。なんだこれ、と訝しく思う。これって、調べてみると、ベラ・ルゴシの物真似らしい。どうも当時、フィリー・ジョーは、盛んにライブで、このベラ・ルゴシの物真似を演っていたらしく、これがまた大受けに受けていたらしい。

当時のジャズ・ライブって、ジャズ演奏とお笑い芸を抱き合わせにした舞台構成が多かったらしい。つまり、ジャズ演奏の合間合間に、余興として「お笑い芸」などを披露する、今日でいう、いわゆるバラエティー系の構成をしていたとのこと。日本では、ジャズといえば「芸術」という色合いが濃い。でも、1950年代、本場米国では「大衆芸」「娯楽音楽」の色合いが濃かった。

Pjjones_blues_for_dracula

「私はビバップ・ヴァンパイヤじゃ〜」と自己紹介から始まる。で、かなり訛りのある英語で、なんだかかんだか。口上のラストに、コウモリが「だんな、あの不思議な調べは?」なんて問うと、ドラキュラ伯爵が「夜の子供達が美しき調べを奏でているのだ〜」と楽団を紹介、フィリー・ジョーのドラムの強烈なビートから、ハード・バップな演奏が始まる。ふふん、なかなか手の込んだ構成やなあ。

このアルバムが録音されたのが、1958年9月。そんなドラキュラ映画が流行っていて、ベラ・ルゴシなる人物が主役で、これまた物真似すると受ける位の人気者だったなんて、今では全く判らないよな。だから、知識として、そんな時代背景を理解していないと、この冒頭の1曲目「Blues for Dracula」だけで、「際物」と扱われること必至である。まあ、2曲目の「Trick Street」からは、普通のハード・バップな演奏が繰り広げられるので、ご安心を(笑)。

改めて、ちゃんとご紹介すると、この『Blues for Dracula』は、フィリー・ジョーの初リーダー作。パーソネルは、Nat Adderley (corr), Julian Priester (tb), Johnny Griffin (ts), Tommy Flanagan (p), Jimmy Garriosn (b), Philly Joe Jones (ds)。なかなか錚々たるメンバーが揃っている。このメンバーで繰り広げるブロウイング・セッションという面持ちですな。

とりわけ、ビックリするような演奏が繰り広げられている訳では無いのですが、平均的なハード・バップというか、標準的なハード・バップというか、安心して、あまりこだわることなく、あっけらかんと聴くことのできる、ハード・バップな演奏とでも表現したら良いでしょうか、飽きることなく、時々引っ張り出して聴くことの出来る演奏です。フィリー・ジョーのドラミングも、彼のドラミングの特徴が良く分かるもので、フィリー・ジョー入門としても良いのでは、と思います。

時には、こんな「異色作」も面白い。時代背景などをしっかり知識として押さえることにより、「際物」と誤解していた「異色作」も、一種味わいのあるアルバムに早変わり。そんな大事なことを教えてくれた、僕にとっては、なかなかの「教育的効果のある」アルバムでした。
 
 
 
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2009年5月 9日 (土曜日)

ふふふっ、もうすぐ夏やねえ

やっと晴れたっ。我が千葉県北西部地方は、やっとのことで晴れた。この3日間、雨模様で、なんとなく気持ちは鬱ぎ気味。忌野清志郎さんが亡くなったり、ちょっと体調がすぐれなかったりで、なんとなく、鬱ぎ気味。そんな鬱ぎ気味の気分に、今日のような、朝日溢れる晴天は、なによりの特効薬。

朝は、ちょっと寒い風が吹いていたが、昼に向かってどんどん気温は上がる。昼を過ぎる頃には、完全にバッチリと初夏の陽気。僕は夏が好きだ。今日のような、照りつける太陽、熱気を感じる乾いた風。まあ、この熱気を感じる乾いた風が、「湿った風」になるから、日本の夏はちょっとだけ「辛い夏」になるんだけどね。

照りつける太陽、熱気を感じる乾いた風。ブラジル、サンバの雰囲気。ジャズは抱擁力のある音楽フォーマットである。サンバだって、ジャズにしっかりと取り込まれた。サンバ・ジャズ。ジャズの熱気とサンバの熱気が融合して、カラッと乾いたオープンなジャズ。

そんなサンバ・ジャズの「優れものアルバム」が出た。『マリーン sings 熱帯JAZZ』(写真左)。今年デビュー30周年を迎えるマリーンのメジャーレーベル復帰第2弾。うふふっ、マリーンか〜。大学時代、密かにファンやったなあ。そうか、もう30年経つのか。

Marlene_sings_nettaijazz_4

パンチを効かせた、シャウト型の女性ジャズ・ボーカルは、日本では数が少ない。というか、マリーンくらいしか思い浮かばない。マリーンの伸びのよいボリューム感のある歌声が、このアルバムでも全開。というか、マリーンのボーカルって、サンバ・ジャズにピッタリなのね。

しかも、今回、熱帯JAZZ楽団とのコラボレーション3曲が目玉。熱帯JAZZ楽団って良いよね。パンチの効いたブラスの響き。ファンキーで馬力のあるドライブ感。その熱帯JAZZ楽団をバックに、マリーンが熱唱する。1曲目「Mais Que Nada」、2曲目「Falling Deep」、8曲目「It's Magic」がその3曲。確かにこの3曲は特に出来が良い。突出している。

他の曲も良い。バカラックやバリー・マニロウ等々、ラテンの雰囲気満載。特に、ラテン系のテンポの速い曲で、彼女のボーカルの特質が最大限に発揮されるところが聴き所。ラテン・アルバムは自身初ということで、二度ビックリ。マリーンの、はち切れるようなポジティブなボーカルは、ラテン・ジャズとピッタリという印象で、もう幾度か経験済みとばかり思っていた。

良いアルバムです。これからの季節にピッタリ。久々に、すんなりノルことのできるラテン・ジャズに出会いました。ラテン・ジャズって良いですよ。カラッとしていて、ノリノリで。今年の夏フェスには、きっと「引っ張りだこ」になるだろうな。エエ感じや〜『マリーン sings 熱帯JAZZ』。
 
 
 
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2009年5月 8日 (金曜日)

唄うようにサックスを吹く

昔から決まって、コルトレーンを真剣に聴くと、その反動だろうか、決まって、歌心溢れるサックスが聴きたくなる。僕にとって、歌心溢れるサックスの最右翼は「デクスター・ゴードン」である。愛称デックス。デックスの歌心溢れるサックスは、僕の心の友である。

『Go』(写真左)を聴く。ブルーノートの4112番。1962年8月27日の録音。ちなみに、パーソネルは、Dexter Gordon (ts) Sonny Clark (p) Butch Warren (b) Billy Higgins (ds) 。ピアノには、これまたお気に入りのソニー・クラークである。

冒頭の「Cheese Cake」の哀愁溢れ、インプロビゼーションの疾走感。デックスのテクニックは素晴らしい。でも、そのテクニックを遙かに凌駕するデックスの歌心溢れるサックス。デックスのこの演奏を聴く度に、ジャズはテクニックだけでは駄目なんだ、ということを強く感じる。といって、歌心だけでは駄目なんだなあ、これが。いやはや、ジャズって難しい。

でも、デックスのこの『Go』を聴くと、理屈では無く、耳でそれを強く感じる。歌心を支える確かなテクニック。確かなテクニックに裏打ちされた歌心。音楽って、音を楽しむ、って書く。やっぱり、テクニックだけでは「音楽」にはならない。歌心だけでは「説得力に欠ける」。
 

Dexter_gordon_go

 
この『Go』に収録されているどの曲もどの曲も、デックスの独壇場である。歌心溢れるサックス全開である。とりわけ、まずは「Cheese Cake」は素晴らしい。哀愁溢れる、判りやすい旋律。若い時は、こんなに判りやすいって、なんだか俗っぽくていけない、なんて思ったこともある。でも、それは若さ故のこと。今では、そんなことは、これっぽっちも思わない。この「Cheese Cake」は絶品。

そして、唄うようにサックスを吹く、を本当に心から感じる曲。それがラストの「Three O'Clock In The Morning」。キンコンカンコンというチャイムをもじったソニー・クラークのピアノの音から始まる、ミッド・テンポの魅力的な曲。デックスが本当に、本当に唄うようにサックスを吹き上げていくのだ。この曲を聴いていると、いつでも、心から幸福感が湧き上がってくる。う〜ん、ええなあ、ええなあ。

この『Go』というアルバム。ジャズ者の皆さん、ジャズ初心者の皆さん、多くの人達に聴いて貰いたい名盤です。確かに歴史的名盤とは違うかもしれない。でも、ジャズの良さを感じることのできる格好の一枚だと思います。というか、松和のマスターである私が考えるジャズの理想形のひとつが「このアルバムにある」と思っています。
 
 
 
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2009年5月 7日 (木曜日)

コルトレーンの凄さを聴いた

コルトレーンは、とにかくレコーディングというレコーディングに「実験、チャレンジ、鍛錬」を持ち込むことが常なミュージシャンだった。意外と「聴き手」の立場に立って制作されたアルバムは、ほとんど無いと言って良い。

その最たる例が、このアルバムだろう。アトランティックに移籍して、初の単独リーダー作『Giant Steps』(写真左)である。このアルバムほど、コルトレーンの「実験、チャレンジ、鍛錬」を感じることの出来るアルバムは無い。

ジャズのアドリブの基本となる、というか音楽演奏の基本となるコードチェンジを極限まで押し進めた、きわめて、かなり、というか、超絶技巧のレベルを地でいく「メカニカルな演奏」。一小節ごとに繰り広げた、目眩くコード・チェンジの世界。こんなの普通じゃ演奏出来ない。

コルトレーンは、きっと自己中心的な男だったに違いない(笑)。この目眩くコード・チェンジの世界のコルトレーンの自作曲。そりゃ〜、自分が作った曲だから、練習するのも自由自在。研鑽を積んで、この目眩くコード・チェンジの世界を完璧に吹き切ることができるのは、コルトレーンにとって当たり前のこと。

でもね。それを、いきなりスタジオに集めた、バック・ミュージシャン達に強いるのはどうかと思うんだけど(笑)。サイドメンとして名を連ねるTommy Flanagan (p) Paul Chambers (b) Art Taylor (ds)。特に、ピアノのTommy Flanagan、ベースのPaul Chambersの苦労はいかばかりか、と・・・(笑)。最初に楽譜を見た時、ビックリしただろうな。でも、きっとコルトレーンらしい、とも思ったんだろうな。

突然呼ばれて、この呆れかえるような、コート・チェンジの嵐、シーツ・オブ・サウンドと呼ばれる音譜の高速羅列。上へ下への音程の上げ下げ。超絶技巧の世界。これを、いきなり「僕と一緒にやってよ、僕と同じ演奏レベルで・・・」というんだから、コルトレーンは、かなり「自己中心」である。

Giant_steps

まあ、それがコルトレーンらしいと言えば、コルトレーンらしい。だから、呼ばれたミュージシャン達はチャレンジしたんだろう。つまりは、コルトレーンは、実にミュージシャンらしいミュージシャンだったんだろう。コルトレーンは純粋に音楽を極めることしか考えていなかったんだろう。常に「実験、チャレンジ、鍛錬」である。

僕がジャズ初心者時代、この『Giant Steps』の評論で、「コルトレーンはこの難しい曲を完璧に吹き切っているのに、ピアノのフラナガンは、相当に苦戦している。ベースのチェンバースもだ。流石である。コルトレーンの才能は傑出していたのだ」というのがあった。

アホかいな。自作曲を完璧に吹き切れるのは当たり前だろうが。自分でも吹けないものを自分で書かないだろう。しかも、だ。これだけ複雑な曲を、いきなり見せられて、今から上手く演奏して、って言われても、これだけ複雑な曲を、おいそれ、いきなり演奏できる訳が無い。

という観点で考えると、逆に、ピアノのフラナガン、ベースのチェンバースの演奏技術というのは、実に優れているということだ。いきなり見て、良くここまで演奏し切っているもんだ。特に、ピアノのフラガナンは相当に困ったはずだ。テナーの運指とピアノの運指は全く違う。コルトレーンにとっては、まずまず易しくても、ピアノのフラナガンにとっては、かなり困難だったはず。フラガナンは素晴らしいテクニックと感性の持ち主だった、ということが、このアルバムで証明されている。

コルトレーンはこのアルバムで懲りたのだろうか、反省したのだろうか。ジャズのアドリブの基本となる、というか音楽演奏の基本となるコードチェンジを極限まで押し進めた、きわめて、かなり、というか、超絶技巧のレベルを地でいく「メカニカルな演奏」を強いるアルバムを作っていない。自らが研鑽を積んでやっとできたことを、他の、その楽譜を初めて見たミュージシャンが、自分と同等のレベルとして、演奏出来るはずがない。

コルトレーンってナルシスト、若しくは、自尊心の強い、タカビーな演奏家だったのかもしれない。この『Giant Steps』では、コルトレーンだけが目立っている。コルトレーンだけが傑出している。バック・ミュージシャンは苦闘している。でも、今、振り返ってみると、確かに、コルトレーンの演奏技術は凄い。努力の天才である。でも、それ以上に、バック・ミュージシャンとして苦闘した、ピアノのフラナガン、ベースのチェンバースの演奏技術と才能、センスに感嘆するのだ。本当に、よく「ついていっている」。
 
 
 
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2009年5月 6日 (水曜日)

ヨーロピアンで若々しい・・・

ジャズというのは、地域で分けるのは、あまり意味の無いことなんだが、事実として、アメリカンなジャ的雰囲気とヨーロピアンなジャズ的雰囲気に大別される。

ヨーロピアンなジャズ的雰囲気、というのは、なんとなくクラシックな要素が底に流れている、というか、楽器が良く響くというか、しっかりと聴き耳をたてていると、絶対にアメリカンなジャズには無い、重厚な雰囲気が、演奏の底に流れている。

そのヨーロピアンなジャズの世界で、若手ながら頑張っている日本人ミュージシャンがいる。その名は西山瞳。西山瞳については、昨年の4月21日のブログ(左をクリック)で、既にご紹介している。プロフィールは、そちらの記事でご一読願いたい。

今回、ご紹介するのは、彼女のライブ・アルバム『Hitomi Nishiyama in Stockholm ~ Live at Glenn Miller Cafe ~』。2007年7月、スウェーデンはストックホルムにての録音。6曲目を除き、数多くジャズライブハウスがある中で高い人気を誇るグレンミラーカフェでの収録。6曲目は、ストックホルム・ジャズ・フェスティバルでのライブ録音。

収録曲は以下の通り。

01. In The Night Watch (西山瞳 作曲)
02. Bye For Now (西山瞳 作曲)
03. SAKIRA (西山瞳 作曲)
04. 君をのせて (久石譲 作曲)
05. Giraffe's Dance  (西山瞳 作曲)
06. You Are Not Alone (西山瞳 作曲)
 

Hitomi_nishiyama_stockholm

 
4曲目の「君をのせて」は、西山瞳の尊敬する作曲家久石譲による「君をのせて~天空の城ラピュタより~」。そう、宮崎駿のアニメ映画「ラピュタ」のテーマソングである。これが絶品なのだ。しっかり、ジャズになっている。アニメの主題歌は、その判りやすさ故に、なかなかジャズのビートに乗せにくいのだが、良いアレンジだ。こういう面にも、西山瞳のコンポーザー&アレンジャーとしての才能を感じる。

収録曲を眺めてみると、4曲目の「君をのせて」以外は、西山瞳の自作曲である。柔らかでしなやか、ヨーロピアンなジャズの雰囲気にピッタリの曲想が良い。この「柔らかでしなやか」な曲想をベースに、カルテットのハードでタイトなインプロビゼーションが、緊張感と疾走感を与えてくれる。決して耳障りでない、ヨーロピアンな響きの中で、テクニック溢れる、フリーなインプロビゼーション。そこに、西山瞳のピアノが、効果的に絡む。歯応え充分の敢闘内容である。

但し、ピアニスト単独としての西山瞳は、まだまだ発展途上。力では男性ピアニストには勝てない。女性特有の、西山瞳特有の個性をどう活かしていくのか。西山瞳のコンポーザー&アレンジャーとしての才能は注目に値する。このコンポーザー&アレンジャーとしての才能とピアニストとして才能とを、どう上手くミックスして、相乗効果を上げていくのか。

これから先が楽しみである。というか、次のアルバムが正念場だろう。まだ、このアルバム『Hitomi Nishiyama in Stockholm』では、西山瞳は突き抜けていない。彼女の代表盤にはなっていない。男性のプロデューサーでは、女性ミュージシャンの本当の気持ちは判らないだろう。次作では、西山瞳のセルフ・プロデュース能力に賭けたい。
 
 
 
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2009年5月 5日 (火曜日)

Simon & Garfunkel『Live 1969』

Simon & Garfunkel の待望のライブアルバムがリリースされた。題して『Live 1969』(写真左)。以前、米国のスターバックス店舗内限定で発売されたライブアルバムである。一般ルートでも販売されるというアナウンスが当時流れたが、突如発売中止となって、その後、音沙汰が無くなったアルバムである。

楽しみにしていただけに、突然の発売中止のアナウンスは無念だった。米国に出張若しくは留学する知人に頼んで、ニューヨークのスタバに買いに行ってもらおうかと思ったほどだ(笑)。それが、今年4月、やっとのことで、一般ルートでもリリースされた。喜ばしいことである。

1969年のSimon & Garfunkelと言えば、解散の前年、一番、油の乗り切った、デュオとして、最高に充実していたであろう時期である。Simon & Garfunkel のライブと言えば、解散後再結成時、1982年にリリースされた『Concert in Central Park』と、2004年にリリースされた『Old Friends Live On Stage』があるが、1960年代の活動時期のライブとしては『Live from New York City, 1967』しかない。

やはり、正式な活動時期でのライブが、もっと聴きたい、というのは正直なところ。あの伝説のデュオが、どういうライブをやっていたのか、興味津々なのである。解散再結成後は、バックにフュージョン系のミュージシャンで構成されたバンドを従えての、かなりゴージャズなアレンジでのライブなので、正式な活動時期、いわゆる1960年代後半はどうだったのか、というのが、僕としては興味の中心だった。

Sg_live1969

1969年の11月に、カリフォルニア、ニューヨーク、デトロイト、オハイオなどで行なわれた全米ツアーからの音源を中心に収録されたもので、名作かつラストアルバムである『明日に架ける橋』のリリース直前の音源。収録された曲も、彼らの有名曲、代表曲がズラリと並ぶ。壮観である。

基本的には『Live from New York City, 1967』と同じく、「ポール・サイモンが奏でるギター1本+2人のハーモニー」を中心とした演奏。そこに、ドラムスとキーボードが、過不足なく、実に的確なサポートで二人を支えている。シンプル・イズ・ベスト。実に簡素ではあるが、実にテクニックある、実に小粋なアレンジである。

二人の声、特に、アート・ガーファンクルの声は若々しくて良い。「天使の歌声」と称えられたアート・ガーファンクルの声が、しっかりと楽しめるところが良いですね。やはり彼のボーカルの高音部分は「ただもの」ではない。ポール・サイモンのギターも素晴らしい。どうやって弾いているのか、今でも不思議に思うんだが、いやはや脱帽もののテクニックである。

もともと音源の少ない、伝説のフォーク・デュオなので、今回の「蔵出し音源」は、実に有り難い。しばらく、ジャズ鑑賞の合間合間に、ちょくちょく聴くことになると思います。シンプル・イズ・ベスト、という言葉がピッタリの今回のライブアルバム。良いものを聴かせて貰いました。
 
 
 
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2009年5月 4日 (月曜日)

超弩級の「ピアノ・トリオ+α」

忌野清志郎が鬼籍に入って、どうも精神的に「いけない」。精神的には喪に服している状態ではある。高校時代からリアルタイムで、お気に入りとして聴いてきた、日本のミュージシャンが鬼籍に入ったのは、忌野さんが初めて。結構辛いものがある。

といって、音楽を聴く、ジャズを聴く、という趣味を停止するまでには及ばず、このGWは、まとまった時間が取れるので、このところお気に入りとなったアルバムを、メインのステレオ・セットでじっくりと聴くことができる。

『Complete Dreyfus Recodings』を手に入れた。Dreyfusレーベルからリリースされたアルバム10作品(CD12枚)、未発表DVD2枚が入った、煌めきの超弩級ボックスセット。このボックスセットを手に入れた話は、2月23日のブログ(左をクリック)でした。

Dreyfus時代のペトルチアーニは、自分のやりたいことを精一杯やっている。そのDreyfus時代の最初のアルバムが『Marvellous』(写真左)。パーソネルは、Dave Holland (b), Michel Petrucciani (p), Tony Williams (ds), Vincent Courtois string quartet。1993年の録音。
 

Marvellous

 
リズム・セクションが、Dave Holland (b), Tony Williams (ds) である。とにかく、ビートが超弩級。Tony Williamsのドラミングは超人的だし、Dave Hollandのベースは、重戦車の様な重低音ベースがブンブン響き渡る。その超重量級のリズムセクションのビートにのって、ペトルチアーニが弾きまくる、弾きまくる。

このDave Holland (b), Tony Williams (ds)のリズム・セクションは、ペトルチアーニのピアノに、能動的に絡むことは無い。フロントのピアノとのコラボレーションは無い。つまりは、ペトルチアーニのピアノを「引き立てる」ことに徹した「超一級のビート」の供給。ペトルチアーニのピアノが実に際だつ。

そして、その超弩級のピアノ・トリオの演奏に、クラシカルな雰囲気を添える様に、アレンジされた、Vincent Courtois string quartetの弦が絡む。実にヨーロピアンな響きになる。実にクラシカルな響きになる。実に優雅で、実にアーティスティックな弦の参入。実に優れた、ペトルチアーニのピアノを「引き立てるだけ」のアレンジ。ペトルチアーニのピアノが更に際だつ。

この『Marvellous』は、ペトルチアーニのピアノを心から愛でることの出来る、素晴らしいアレンジの施された逸品。グルーブ感、スウィング感も申し分無く、インプロビゼーションもスリリング。そして、今回、CDを手に入れて、メインのステレオ・セットでじっくりと聴いて思ったんだが、ピアノの音が良いんだなあ。

いやいや、心がスカッとする「ピアノ・トリオ+α」。忌野ショックの心を癒してくれる素晴らしい演奏。やっぱり、音楽って良いですね。やっぱり、ジャズって良いですね。
 
 
 
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2009年5月 3日 (日曜日)

追悼・忌野清志郎・・・

昨晩遅く、さあ寝ようかな、と思って、最後、読売新聞のサイトを見て「ビックリ」。「ロック歌手の忌野清志郎さん死去、58歳」とあるではないか。え〜っ、そんなに悪かったのか。と驚いた後、ジンワリと悲しみが押し寄せてきた。2006年7月に喉頭(こうとう)がんと診断されて以来、闘病してきたんだが・・・。駄目だったか。

忌野清志郎といえば「RCサクセション(以降RCと略す)」。大学時代聴きまくったなあ。一番良く聴いたアルバムが『PLEASE』と『EPLP』(写真参照)。この2枚は大好きだった。友人の車で古墳調査行く時のドライブ・ミュージックとして、はたまた、友人の下宿で徹夜麻雀のBGMで、この2枚のアルバムは良く聴いた。

『PLEASE』については、冒頭1曲目の「ダーリン・ミシン」〜「トランジスタ・ラジオ」〜「モーニング・コールをよろしく」の流れが大好きで、特に「トランジスタ・ラジオ」は永遠のフェイバリット・ソング。この曲を聴く度に、僕たちの大学生活を思い出す。まあ、僕たちの学生生活ズバリの歌詞の内容に思わず「ニンマリ」したのを思い出す。それ以来、僕たち仲間内のテーマ・ソングみたいな扱いだったなあ。そうそう「ぼくはタオル」も印象深いなあ。

『EPLP』については、それはもちろん、代表曲の「雨あがりの夜空に」でしょう。これは名曲。これは学生時代、いろいろなアレンジでカバーさせていただきました。意外とギター2本のブルース調でやると、結構渋いんですよ。そして「上を向いて歩こう」のアレンジにぶっ飛んだ。「君が僕を知ってる」や「たとえばこんなラブ・ソング」などの バラードも絶品。他の曲も素晴らしいものばかり。RCを知るには絶好の一枚でした。

Rc_please_eplp

しかし、僕にとって、忌野清志郎の一番印象深いの曲と言えば、井上陽水の『氷の世界』A面の3曲目「帰れない二人」。歌詞は陽水だが、とにかく曲が良い。忌野清志郎のセンスと才能を、最初に見せ付けられた曲である。当時高校2年生。とりあえず「忌野って変な名字やなあ」と思いつつ、この曲は凄いと思った。

そして、忌野清志郎と言えば、あの奇抜なコスチューム、奇抜な化粧。いかにもロック野郎らしいファッション。そして、忌野清志郎といえば、名台詞「愛し合ってるかい」もしくは「ベイベー」。自分のキャラクターには合わないと思いつつも、一度、清志郎のような化粧とコスチュームで歌ってみたかったなあ。

それから、忌野清志郎と言えば、NHK-FMでパーソナリティーをやっていた思い出があるんだが。これが、なかなか渋い選曲ばかりで、さすがに忌野清志郎やなあ、と感心しながら聴いていたのを覚えている。「サウンドストリート」やったかなあ。忌野清志郎の音楽センスは、それは素晴らしいものだった。とにかく説得力と矜持を感じる。良いパーソナリティーだった。

しかし、学生時代からリアルタイムで聴いてきた、生きてきたミュージシャンが、鬼籍に入ることって、実に辛い。自分たちも、そんな年齢になってきたんだという想いと、人間の寿命というのは永遠では無い、という至極当たり前のことを、強制的に再認識させられるショックと、様々な想いが交錯する。

忌野清志郎さん、安らかにお眠り下さい。貴方の音楽は永遠です。僕たちは今までもこれからも、貴方の音楽を聴き続けていく。う〜ん、やっぱりショックやなあ。暫く、喪に服します・・・。
 
 
 
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2009年5月 2日 (土曜日)

ピアノ・トリオの基本形

さあ、今日から5連休。でも、昔から「GWは遠出はしない」という了解が家にはあるので、今年もノンビリ過ごそうか、って感じです。近場で日帰りのウォーキングはあるかな、と思いますが、やっぱり、今年もノンビリです〜。

今日も朝からノンビリ。昼ご飯ネタを買いに、嫁はんと散歩がてら買い物に出たんですが、いや〜良い季節ですね。風も適度にあって、日差しは少しきつい位なんですが、暑くもなく寒くもなく、このGW辺りが一番季節の良い時。やっぱり、人混み、渋滞を経験しに遠出するよりは、ノンビリ。近場を散歩したほうが、ストレス解消になる。

さて、午後からは、うつらうつらしながら(笑)、ジャズを聴く。この連休はまとまった時間がとれるので、日頃、なかなか聴かないアルバムを引きずり出してきて聴く。今日は、Bud Powellの『Jazz Giant』(写真左)。前半6曲目までは、Bud Powell(p)、Max Roach(ds)、Ray Brown(b) による、1949年の録音。 7曲目以降はベースが Curly Russell に替わっての1950年録音。

バドのピアノは、実にストイックである。ビ・バップは、そのコード・チェンジの複雑さの上に、超絶技巧なテクニックが特徴。それを瞬間芸の様に、約3〜4分間の演奏に凝縮する。ミュージシャンの芸術的な技巧を愛でるのが、ビ・バップの流儀。
 

Bud_powell_jazzgiant

 
このアルバムでも、バドのテクニックは素晴らしい。とにかく手が回っている。そして、ずっと聴き進めていると、後のジャズ・ピアノに良くある「耽美的」「リリカル」「叙情的」「チェンジ・アンド・ペース」「アレンジの妙」等については全く無縁であることに気が付く。

この『Jazz Giant』では、ジャズ演奏の基本である「コード進行・コードチェンジに則って演奏する」こと、ジャズ演奏の大前提である「優れた演奏テクニック」を基にインプロビゼーションを披露すること、そして、ピアノのバックで、リズムセクションが効果的なバッキングの妙を聴かせること。いわゆる、ピアノ・トリオの基本形をふんだんに聴くことができる。

このアルバムには、「耽美的」「リリカル」「叙情的」「チェンジ・アンド・ペース」「アレンジの妙」等の「贅」の部分は全く無い。贅肉をそぎ落とした、ピアノ・トリオの根幹的な演奏だけがそこにある。しかも、瞬間芸的な、短時間での演奏の凝縮による「テンションの高さ」にも、ジャズの基本を感じる。

ジャズ初心者の方には、その「贅」の部分が全くそぎ落とされた、実にテンションの高い、実にトンガッたトリオ演奏なので、かなり取っつきにくいかと思います。が、このバド・パウエルのピアノ・トリオが、現代のジャズ・ピアノ・トリオの根幹をなすものですので、「何が基本か」ということを理解する上でも、この『Jazz Giant』などは、ジャズ者として、ジャズを本格的な趣味として、聴き進めていく上では、避けて通れない、教科書のようなアルバムです。

そんなこと考えながら聴いていたら、気が付かない間に3回も繰り返して聴いてしまった(笑)。これも、5連休の時間の余裕のなせる技ですね。
 
 
 
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2009年5月 1日 (金曜日)

こんなアルバムが流れてきたら

ジャズのアルバムって凄い数がある。ジャズ入門の100枚、とか、ジャズを極める300枚とか、いろいろ本が出ているけれど、それって、ジャズのほんの僅かばかり、ほんのほんの僅かばかりを知る、くらいのことである。

面白いのは、ジャズを聴き始めて、2〜3百枚を聴き終えた頃から、ジャズ入門のXX枚、というのがあまり気にならなくなる。なぜって、自分の好みが固まってくるからだと思っている。自分の好みの音を自分の手で探す、ということに楽しみを見いだす。これが、コレクターの醍醐味。

さて、今日は、Art Blakey And The Jazz Messengersの『'S Make It』(写真左)を聴く。1964年11月の録音。録音場所は、カリフォルニアはハリウッド。ニューヨークではない。パーソネルは、Lee Morgan (tp) Curtis Fuller (tb) John Gilmore (ts) John Hicks (p) Victor Sproles (b) Art Blakey (ds) 。ベースがちょっと弱いかなあ、と思うが、後のメンバーは蒼々たるもの。

流れてくる音は、典型的なファンキー・ジャズ。ゴルソン・ハーモニー風の、印象的なフロント楽器の「ユニゾン&ハーモニー」。冒頭の「Faith」など、出だしのハーモニーを聴くだけで、ジャズを感じて、ウキウキする。絵に描いたようなファンキー・ジャズ。印象的でキャッチャーな旋律。う〜ん、良いなあ。
 

Art_blakey_s_make_it

 
このArt Blakey And The Jazz Messengersの『'S Make It』は、決して、ジャズ入門書には登場しない。いや、Art Blakey And The Jazz Messengersの名盤紹介にも登場しないだろう。それでも、1964年という時代のジャズを感じ、ジャズの楽しさを満喫できる。

ジャズのアルバムには、こんな無名で、大凡のジャズ・ファンには見向きもされないアルバムに、ジャズらしさとジャズの楽しさが満載されていることが間々ある。だから、ジャズ者って楽しい。ジャズのアルバム・コレクターは止められない。ジャズを聴くって楽しい。

実は、この『'S Make It』、収録された曲の中で、2〜3曲、フェードアウトされる曲がある。本来、ジャズの演奏をフェードアウトするなんて、なんて趣味の悪いプロデューサーなんだ、と怒り心頭に発するんであるが、この『'S Make It』のアルバム全体の、ファンキーで、ジャズの楽しさ満載の雰囲気からすると、まあ許せる範囲かなあ、と思ってしまう。

なんの変哲もない、ジャズ本にもほとんどというか、ほぼ全く採り上げられないアルバム。でもでも、なぜか印象的なんですよね。ジャズらしいんです。ジャズの楽しさ、ジャズの面白さを感じることの出来るアルバム。ジャズ喫茶に入って、こんなアルバムが流れてきたら、絶対思うよな。「いや〜、ここのジャズ喫茶って趣味ええなあ、いや〜素晴らしい」って。
 
 
 
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