フレディ・ハバードと言えば・3
今日もフレディ・ハバードの追悼である。ハバードの生前、僕は、熱心なハバードのファンでは無かった。ブルーノートのハバードの諸作は聴いてはいたが、1970年代以降のハバードの諸作については、はっきり言ってサボっていた。
今回、ハバードの訃報に接して、ハバードのアルバムを集中して聴くにつけ、ハバードの才能の素晴らしさに改めて感動した。
ハバードについては、上手すぎるとか、テクニックをひけらかしすぎるとか、上手すぎて面白く無いとか、結構、トランペットを吹いたことの無い、素人の俄評論家の人達に「心無い評価」をされ過ぎた。上手くて何が悪い、テクニックがあって何が悪い。特に日本では、ジャズに何か見当違いなものを求める人達に、妙な評価、観点を好きに語らせ過ぎたきらいがある。
プロで無い素人が、トランペットを吹いたことのない素人が、まずはリスペクトの念を持たずに、好き勝手に、プロに向かって、上手すぎるとか、テクニックをひけらかしすぎるとか、上手すぎて面白く無いとか、身勝手な評価をするべきではないだろう。そんな身勝手な評価は、人として、公に公表すべきではないだろう。
さて、ちょっと興奮したきらいがあるが、熱心なハバードのファンでは無いながら、1980年代のハバードのアルバムで、一番好きなアルバムが『Sweet Return』(写真左)。抑制の効いた、バックのサポートも素晴らしい、松和のマスター「一押し」の、1980年代のハバードの佳作である。
バックのメンバーを見渡すと、いやはや、今の目でみるとオールスターキャストではないか。特に目立つのは女流ピアニスト、ジョアン・ブラッキーン。最初聴いた時は誰だ、誰なんだ、と焦りに焦った(笑)。素晴らしい人選である。絵に描いた様にリリカル、ドライブ感溢れるピアノは秀逸。ロイ・ヘインズで硬軟自在、エディー・ゴメスのベースは堅実にビートの底を支え、ルー・タバキンのテナーは実に手堅い。
そして、主役のフレディ・ハバードと言えば、ここでのハバードは「抑制の効いた」ハバード。秀逸である。硬軟自在、柔軟自在、しっかりと吹き過ぎを押さえて、歌心を前面に押し出している。「Calypso Fred」の様な楽しいカリプソ・チューンもあって、ハバードの独壇場である。
恐らく、1980年代前半のハバードが、ハバードのピークの時代であったと思う。当時、新伝承派、ウィントン・マルサリスが、トランペットの神童として「もてはやされた」が、このアルバムでのハバードに比べたら足下にも及ばないではないか。
なぜ、当時のハバードが、ウィントン以上に評価されなかったのか。ここに商業主義のレコード会社の問題が露呈されていると思っている。僕たち聴き手も含めて猛省を促したい。僕も結構反省してます。
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