ワーナーのマイルスについて一言
今朝は霧雨。体調も優れぬし、気分も優れぬ。気分の晴れない時なれば、天気ぐらい良ければよいものを・・・。
といいながら、好きな音楽を聴く時は、少しだけ心が晴れる。このブログでも何度か、マイルス・デイヴィスのワーナー時代の紙ジャケがリリースされたことをお話しした。マイルスのワーナー時代といえば、マイルスの音楽活動の晩年にあたる。
時は、1986年、マイルスが60歳の時から、1991年、65歳で亡くなるまでの5年間。米国のポップスは、打ち込み全盛の時代である。そして、マイルスは、マーカス・ミラーと組んで、この打ち込みを自分のものにした。その最高傑作が「TUTU」である。
しかしながら、その後のマイルスのアルバムと言えば、残念ながら「TUTU」を超えることはなかった。「シェスタ」(写真左)以降、マイルスのトランペットの音色を愛でるには、全く問題の無いアルバムではあるが、その内容は、他のマイルスの優れた作品と比べると、同様に優れているとは言いかねる。「アマンドラ」然り、「ディンゴ」然り、「ドゥー・バップ」然り。
なにが言いたいかというと、ジャズ初心者の方々にとっては、今回のマイルスのワーナー時代の紙ジャケについては、「TUTU」以外のアルバムに手を出すには、それなりの覚悟がいる、ということ。
「TUTU」以外のアルバム、マイルスのトランペットを愛でるには良いアルバムばかりであるが、作品としては、他のマイルスの優れた諸作と比べると、出来はあまり良くない。ジャズ初心者の方々にとっては、ワーナー時代の、いわゆるマイルスの晩年時代の作品を感じるには「TUTU」が一番で、「TUTU」以外は相応しくないのでは、ということ。
マイルス・デイヴィスのアルバムと言われると、有名なブランドの様なモノで、どのアルバムでも、マイルスを感じることが出来、マイルスに満足することが出来ると思いこんでしまう。ところがどっこい、マイルスも人の子、他の数あるジャズ・アルバムと比較すると優れてはいるものの、マイルス本人の優れた諸作と比較すると出来があまり良くないものもある。言い換えると、「シエスタ」以降のアルバムは、マイルス・マニアにとっては聴き応え十分なんだけど、一般のジャズ・ファンには、ちょっとお勧めしかねる。
マイルスも人の子。晩年、寿命が近づくにつれ、創作意欲とインスピレーションが落ちていったんだろうなあ。でも、マイルス・マニアの僕にとっては愛おしい。ワーナー期の晩年の諸作は、マイルス・ミュージックの人間味に触れることの出来る、どれもが愛おしいアルバムだとも言えるのだ。
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