マイルスのエピソード
ええぃ、うっとうしい。月曜の朝から、シトシトそぼ降る雨とはなあ。今日は10月2日、普通は、秋雨前線が去って、秋晴れの日が続く頃だろうが。それが、なんで秋雨前線が北上して、冷たい雨になるのかなあ。夕方には上がるって天気予報は言っていたみたいだが、全然、上がらん。そぼ降る雨がシトシト降り続いとる。
うっとうしい、うっとうしい、と言っていても雨は上がらないので、気持ちを取り直して、今日は、マイルスのエピソード話のさわりを少し。ジャズマンていう人種は、天才肌、職人肌の人がほとんどで、普通の人と比べて、話の種になりそうなエピソードが沢山ある。とりわけ、マイルスは、さすが「ジャズの帝王」と言われるだけあって、含蓄のある、時には、呆れるようなエピソードの宝庫である(笑)。
まあ、1940年代から亡くなった1991年までの約50年もジャズ界に君臨していたんだから、それぞれの時代毎に、マイルスのエピソードは沢山あるんだが、今日は、昨日「マイルス・アヘッド」を聴いていた時、ふと思い出したエピソード。
マイルスは、コロンビア・レコードに移籍する時の条件として、ビル・エバンスの編曲で、マイルスの選んだメンバーでのジャズ・オーケストラをバックにしたアルバムを、十分なリハーサル、十分な録音時間を確保して、録音することを条件の一つにした。とにかく、ジャズ・オーケストラの録音は金がかかる。簡単に言うと、ジャズ・オーケストラの録音に、十分満足いくまでの資金を要求したわけだ。
その最初の成果が「マイルス・アヘッド」なんだが、問題はこのジャケット。発売当初は、ヨットに乗った妙齢美人の貴婦人のジャケットだった(写真左を参照のこと)。しかし、マイルスは怒った。コロンビア・レコードに強硬なクレームをかけたのである。「俺のアルバムのジャケットに白人のスケの写真など載せるな」。
当時、ジャズは黒人の音楽、黒人の芸術という強い自負がジャズマンにあった時代のことなので、マイルスのこの発言は頷ける。しかしだ。差し替えを求めたジャケット写真は、マイルス自身の「トランペットを吹くマイルス」のアップの写真なのだ(写真右を参照のこと)。え〜っ、なんやなんや、自分の写真に差し替えたんかい。いやはや、マイルスはナルシストである。
しかもだ。この「マイルス・アヘッド」ってアルバム、ギルの素晴らしいアレンジと素晴らしいジャズ・オーケストラの効果合って、マイルスのペットが素晴らしく映えた、極上の「ムード・ジャズ」に仕上がっている。ほのかに西洋音楽のテイストを漂わせながら、素晴らしくジャズらしい「ムード・ジャズ」。この極上の「ムード・ジャズ」っていう雰囲気からすると、絶対に「白人のスケ」のジャケットの方がピッタリくるんだけどなあ。
大学時代、マイルスを聴き始めた頃、LPで発売されていた「マイルス・アヘッド」のジャケットは左の写真のものだった記憶があって、「白人のスケ」ジャケットの方に馴染みが深い。右の「トランペットを吹くマイルス」の写真から、この「マイルス・アヘッド」の極上の「ムード・ジャズ」の雰囲気は絶対に想像できないよな。マイルス〜、これは「改悪」やで〜。
アルバムを復刻する時、オリジナルにこだわるのも悪くはない。アーティストの言い分を優先するのも良いだろう。でも、大事なのは、アルバムの内容を彷彿とさせる、優れた「ジャケット・デザイン」を優先することの方が大切なのではないかと僕は時々思う。だって、「マイルス・アヘッド」って、「トランペットを吹くマイルス」では絶対雰囲気が出ない。「白人のスケ」ジャケットだからこそ、極上の「ムード・ジャズ」が楽しめるのではないか〜。そう言う意味では、今回の紙ジャケ復刻は「白人のスケ」ジャケットでの復刻。大正解である。
きっとマイルスって、若い時は、音に強いこだわりを持つ反面、アルバム・ジャケットには無頓着だったんだろうな。だって、彼って、晩年、絵も描いていて、この絵がなかなかの優れものでしたからね。絵心含めた、デザインセンスも一流だったからね。
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