新しいジャズ・スタンダード・その3
良く降る雨だなあ。昨日から、ほぼ間断無く降り続いている雨。先週の後半は、夏晴れで、うだるような暑さだったので、もう梅雨は明けたか、と思ったんだけどなあ。完全に「戻り梅雨」状態である。
今日は、会社で歓送迎会。久しぶりに、僕も新しい仕事に移るので、送別される方のメンバーである。まあ、送別って、個人的には、あんまり信用していなくて、「お別れするのが淋しいです」なんて、うそ臭くて良くない。「去る者日々に疎し」って諺があるくらいなんだから、どうせ、1ヶ月もすれば、そこにその人がいた事なんて、すっかり忘れてしまうんだけどね。付き合いだから「仕方が無い」。
一昨日から「新ジャズ・スタンダード」と題して、60〜70年代のロック・ポップスの名曲をカバーして、ジャズ・スタンダード化する動きについて考えているのだが、なかなか良いものが見当たらない。「これは、良いアレンジだ」とか「これはジャズにし易い」と、その時は感心するが、他のミュージシャンが、その楽曲を取り上げることが少ないので、新しいスタンダードとして定着することが、ほとんど無い。
「新ジャズ・スタンダード」というタイトルから、ふと思い出したのが、1996年にリリースされた、ハービー・ハンコックの「ニュー・スタンダード」。このアルバム、まさに、、60年代〜70年代のロック・ポップスの名曲をカバーして、ジャズ・スタンダード化する試みを、かのハービー・ハンコック御大自ら、実践している。
だが、曲がマニアックすぎるんだよな。ドン・ヘンリーの「ニューヨーク・ユニット」やピーター・ガブリエルの「マーシー・ストリート」なんて曲、原曲を知る人がジャズ・ファンの中で、どれだけいるんだろう。確かに、良い意味で、原曲を変容させた好例もあり、中には、原曲よりも明らかに質の面で上回っている曲もある。しかし、原曲がマニアックすぎて、一般大衆が原曲をあまり知らない楽曲をジャズ化しても、それはなかなか「新しいジャズ・スタンダード」にはなりにくいのではないか、と僕は思う。
そんな中でも、ビートルズの「ノルウェーの森」や、サイモン&ガーファンクルの「スカボロ・フェア」は、原曲について、一般大衆もまあまあ良く知っていて、しかも、ジャズ化することで、その質が向上し、演奏する方も聴く方も、その内容を様々な角度から楽しむことができる、つまりは「新ジャズ・スタンダード」として、後世に残る可能性を強く感じさせる演奏となっている。特に、「スカボロ・フェア」は、その主旋律をソプラノ・サックスで演奏すると、かのコルトレーンの名演で名高い「マイ・フェイバリット・シングス」を想起させる、なかなかの雰囲気で、この曲は結構、最近のミュージシャンにカバーされつつある。「ノルウェーの森」は、独特のコード進行が演奏する方としては楽しい楽曲で、こちらも、ピアニスト中心にカバーされつつあるって、それぞれの演奏を比較して聴くと、それぞれの個性が浮き出てきて、聴く方としても、実に楽しい。
新ジャズ・スタンダードって、これからのジャズ・ミュージシャンの「志」ひとつで、どんどん出てくると思いたい。1920年代〜1950年代に生まれたジャズ・スタンダードを繰り返し、練り直し、演奏するのも良いけれど、聴く方からすると、ちょっと飽きちゃうんだよなあ。
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